山の神さまにお参りにゆく

 初詣は、土地の山の神さまのところへ。1月3日なって、突然にそう思ったのでした。
 朝から柚子をうかべたお風呂に入り(あまりに寒かったから)、湯舟につかりながら年末に手に入れたパウロ・コエーリョの文庫本を読んで、昨日大なべいっぱいつくったしし汁を、丼にたっぷりと食べてからのことでした。

 11月の末のおまつり(儀式)のときに、「ここは猪がでるかもしれんからひとりでいっては危ない」と聞いていたので、こどもたちに懇願して同行してもらい、枯れ葉をふみしめながら、急な山道を登ってゆきます。

 新年特有の、きりっとした、それでもあたたかでやわらかな空気とひかり。途中水路をはさんで表れるわかれ道は、片方が「なだらかで遠い」もう一方が「急で近い」。後者を選び、そのあたりで拾った木を杖がわりにして、さらに高みへむかってのぼってゆきます。途中からみりん(我が家の飼い猫)がどこからともなくあらわれて、勝手知ったるそぶりで同行してくれます。

 たどりついた山の神さまには、土地の方が、縄をなって、紙を切り折りして、そして笹や葉を採ってきてつくられたお飾りが飾ってあって、その土地に根づいた簡素さと、日々くりかえされてきた営みにただ、胸を打たれる。その鳥居のようなお飾りをくぐった瞬間に、空気がさっと変化し、よりいっそうのすがすがしさと、神々しさに包まれる。山の神さまのちいさなお宮にご挨拶をして、どうか今年も日ノ御子のひとびとをお守りください」と祈ったのでした。

 あまりの心地よさに、その場を立ち去りがたく、それでもこどもたちが山道を勢いよく滑り降りてゆくのをおいかけながら、山に、木々に、そして山の神さまに祝福されていることに、胸がいっぱいになり、あふれてくるのは、感謝としかいいようがない気持ち。

 あの、なった縄のあいだにいろいろと挟んであるお飾りは何と呼ぶのだろう、あの白い長方形がずれながら下にたれさがっていく紙の名前は?2種類の葉っぱはゆずり葉と、ウラジロだろうか。そんなことを考えつつ帰途についたのでした。