畑の花束

 花は、贈るのものも贈られるのも好きです。受け取った瞬間のうれしさからはじまって、生活の中で花を眺める時間、そんな記憶そのものがギフトで、後に残らないというかろやかさも心地よいと思います。都市部に住んでいた頃は、よく花屋に足を運んでいたけれど、山のふもとに住み始めてからは、地域の直売で手に入れるか、身近で摘むかのどちらかになりました。

 花を育てた経験はほとんどなく、一度好きな貝母百合(ばいもゆり)を植えたら、夏の間に草にまみれて消滅してしまったこと、3株植えたクリスマスローズが知らない間に1株になっていたことを考えると、あまり得意とは言えないように思います。どこに植えたか忘れて、草刈り機でばっさり切ってしまった可能性も。

 一方、思いがけず畑に花が咲くのはうれしいものです。カモミールはハーブティー用に、コリアンダーは料理用に、春菊は野菜として植えたもの。いずれも春になるとすこやかにうつくしい花を咲かせます。特に春菊は、感じのよい黄色い花がたくさん付くのを知って、全部食べてしまわずに、かならず数株残しておくようになりました。数年たった今、春菊そのものを食べるよりも、春になって咲き続ける花の価値の方が高いかもしれません。

春には畑が花畑に。黄色は春菊、白はコリアンダー。こぼれ種から来年も芽が出ます。

 人と会う時に、さっと摘んだ花を、新聞紙に包んで渡すのはだんぜん気軽だし、茎元を湿らせたティッシュに包んでから、薄紙に包んで小包に入れることもしばしば(小包に!?と思われるかもしれませんが、夏場を除けば意外と大丈夫です。念のため、「しんなりしていたら水切りしてみてください」の一言を添えて)。

 束ねた花は、小さいのも、ボリュームのあるものも、それぞれに愛らしい。今の季節がダイレクトに感じられるのも、野草に近い佇まいも、なにもかもが気持ち良く、そもそも、思い立って数分後に花を摘み、素朴なブーケに仕立てる、というプロセスそのものに自由のよろこびがあるように思います。

 誕生日やお祝いにお花はつきものだけれど、別段これといった理由がなくたって花を贈ったり、贈られたりしてもいいんじゃないか、もしかしたら、その方がちいさな驚きとあいまってたのしいかもしれない、と思いながら今日も畑で花を摘むのでした。