インドのチャイ屋

 インドに行ったのは、3月のはじめ。コロナ騒動で入国できるかできないか、といったぎりぎりのときだった。心配するひともあったけれど、幸い両親はこどもを預かってくれるというし、入国できなかったら帰ってくればいい、出国できなかったら…とまでは考えなかったが、たとえ予定通りに帰国できなくとも、命にかかわる確率は少ないだろう、と思って出発を決めた。そもそも、危険はいつ、どこにいてもあるものだと思っている。流れは、インドへむかっていた。

 昨年に続いてのインド。夫の仕事が移動を含めて3日、あとはスパイスや紅茶などの仕入れ、総日程は8日というまずまず自由度の高い旅。デリーから列車で北に6時間、さらに車で数時間の国立公園で仕事を終え、戻ってきてからはスパイスを求め、何杯もの紅茶を試飲し、時間があれば町を歩いた。車にバイク、3輪タクシーに自転車のリキシャ―の生み出す都市のカオス。貧しいこどもたちが伸ばすほそい腕と大きなひとみ、強い光に照らされる鮮やかな花々と茂る緑。

 ただ、道を歩いているだけなのに、つぎつぎに目に飛び込んでくる情報の洪水に。思考も判断も追い付かない状況に、困惑する。なにをするにも気力を要する国インドは、常に混沌としていて、普段感じることのない圧倒的な生命力に満ちていた。その土地に立たないとわからないことがある。言い換えれば、その土地に立ちさえすればわかることがある。わかる、というよりかむしろ感じる、に近いような気がする。旅行が苦手なわたしをインドへと後押しするのは、そういった肌身で感じる感覚なのだろう。

 道端に簡易に組まれたチャイ屋の店主は、みなある種の落ち着きをもっていた。しずかなひともあったし、笑顔のひとも。驚くほど超然とした佇まいのひともいた。チャイの作り方は、ひとそれぞれ。粒の紅茶、砂糖、牛乳、これらはだれでも使うが、スパイスは生の生姜を石でたたきつぶしたり、カルダモンをつぶしていれたり。チャイと言ったらスパイスが入っているものと思われがちだが、意外に何も入れないシンプルなものが多かったように思う。

 かつては素焼きの器が使われていたそうだが(一度つかうと捨て割る)、今は紙コップが主流。時折、小さなグラスを使っている場所をみつけると、あ、と思う。ビニールに5人前くらいのチャイを入れて持ち帰るひともいた。ビニール袋にチャイ!たしかに、紙コップに入った何杯ものチャイをはこぶのは大変。たぶん、家に帰ったらビニールの先をちょんと切って、グラスに注ぐのだろう。

 チャイの屋台は、社交場としても機能しているようだった。いつもくるあの人、馴染みの客同士の雑談。片手にはチャイを持って。ちょっと外にでて、気軽足が向く場所。店主がいつも同じ様子でチャイの鍋の前に立っていている安心感。立ったままほんの数分(あるいは数十分かもしれない)、特に意味があるとも思えない会話をしているようにも見えるし、じっとだまりこくっているひとも。旅行者のわたしでさえ、昨日と同じチャイ屋で一息つくことが、ひとつのリズムになり、なんとなくほっとする時間になるのだから、地域に住む人々にとっては、どれほどの拠り所になっているだろう。

 毎日同じ時間帯に(あるいは気が向いたときに)チャイ屋に向かい、店主にコインを渡し、チャイを受け取る。区切りをつけること、気分を変えること、そういったものを、自然に日常に組み込まれているのだろう。道端の簡単な掘っ立てスタンドだから、壁もなく、すばらしく風通しがいい。風が吹けば飛んでしまうようなチャイ屋の店構えとその確固たる存在意義のギャップに、ある種のすこやかさすら感じる。

 チャイはすごく甘くて、おいしい。牛の種類がちがうのか、日本の牛乳を温めたとき特有の匂いもない。砂糖はたいがい透明な薄茶色のざらめ。小さなグラスに入った一杯をすこしづつすする。量が少ないので、さっと早く飲み終えることもできるが、ただチャイを飲むためだけに来る人もいないのだろう。ほとんどの人が、時間をかけて、その場でチャイを飲むこと自体を「なんとなく」楽しんでいる。旅行者のわたしも、それに混ぜてもらって、同じ時間を過ごさせてもらう。話しかけてくる人も、じっと見る人もほとんどいない。自分がその土地にほんの少しだけなじんできたような気持ちになる。

 人がやってきて、すこしくつろいで、立ち去る。 チャイ屋とその半径2メートルには、そんなちいさな自由がある。遠くから海を越えてやってきたこの混沌とした国で、わたしの心にのこるのは小さな名もなきチャイ屋なのだった。

 

 

 

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