からあげ弁当

 週末の必勝法はお弁当をつくること。家族五人が起きる時間もお腹がすく時間もまちまち。予定は常に未定となれば、お昼どきに全員が家にいるとも限らない。外食は、時間もかかるし出費もかさむ。そもそも行きたいお店は限られているので、あらゆる意味で困難だ。

 ということで、朝のうちに昼用のお弁当を作っておく。あとは何が起こってもOKという安心感は絶大だ。できることなら前日のうちに算段をつけて、すこし仕込んでおけると朝の始動がスムーズになる。

 お弁当のおかずナンバーワンは、なんといってもからあげ。からあげはただでさえ文句なくおいしいが、お弁当に入るといっそうパフォーマンスが上がる。夕ご飯につくるといくら揚げてもも足りない感じがするのに、なぜかお弁当に入ると小さめのが4つ5つ入っているだけで十分。揚げたてはもちろんおいしいけれど、冷めた状態でお弁当のおかず、というのがじつは一番なのでは、とひそかに思っている。

 私の母は料理好きではなかったが、おいしいからあげを食べさせてくれた。ちいさな台所で、鶏肉を切ってステンレスボウルに入れ、お酒とすりおろしたにんにくと生姜、それから醤油を入れてすこし置いてから小麦粉を混ぜて揚げていた。とくに工夫と言う工夫もなかったように思うが、いつも同じの安定した清潔な味。お弁当に入っていた記憶はなく、いつも夕ご飯だったような気がする。

 わたしがからあげをつくるのは、月にいちどくらい、たいてい週末か遠足の朝。夜寝る前に鶏肉を切って味をつけておく。お酒におろした生姜とにんにく、それから醤油と母の作り方を踏襲するときもあるけれど、今回は醤油のかわりに実山椒の醤油漬けの漬け汁を入れ、あらくつぶした黒胡椒も加えた。肉を料理するときのポイントはとにかく薬味と香辛料。いろいろな方向性のものを入れると、味も消化も断然良くなる。衣は片栗粉と薄力粉を半々。小さめにつくって、少なめの油で短時間で揚げる。

 からあげはわりに渾身感があるので、ほかのおかずは気楽にいきたい。昨日の夕食の煮込みにピーマンを加えたもの、あとは梅干し、ごま、らっきょう、おかず味噌などの保存食で十分。ほんとうはすこし甘いたまご焼きがはいったら最高だけど、そこまでやると朝から疲れてしまうので自重する。

 朝ごはんとお弁当は同時につくる、とはいっても別のものを作るわけではない。ごはんをたくさん炊いて、弁当箱に詰めた残りをすべておむすびにしておく。「おなかすいたー」の声が聞こえたら、ちいさなお皿におむすびとからあげひとつ、それかららっきょうを添えたものが朝ごはん。おむすびはちいさめに握っておいて各自が好きなだけ食べる。からあげがひとつだけ、というのはからあげ弁当の前奏曲、あるいは予告編のようなもの。昼のお弁当がよりたのしみになる、という仕掛け。

 忘れられないのは、かつて山の上でひらかれたお話し会でいただいたおむすび弁当。手渡されたのは、竹皮のコンパクトな包み。おむすびはたしか三つで全部具が違って、それぞれにすばらしくおいしかった。おかずはからあげと卵焼き。一見オーソドックスかつシンプルなようでいて、考え抜かれた渾身のお弁当、という印象。形ばかりの代金は払っていたが、一口食べてそれが本来お金では得ることのできない味だということがすぐにわかった。つまりは繰り返された、計量のない、唯一無二のその人の味。

 最後、食べ終えた後に残った包みの竹の皮いちまいのいさぎよさが、一連の流れを洗練に昇華させていたようにも感じられ、茶道の心得がまったくないにも関わらず、茶道の本質に肉薄しているようだと思った。千利休ってこんな感じ?

 その理想のお弁当のことを、いまでもたびたび思い出し、「いつかもういちど」と思うのだった。