くちなしの香り

 梅雨時、湿度の高い日に道をあるいていると、不意打ちに、香りと出会うことがある。甘く、むせるような香りのくちなしの香り。周りを見渡すと、かならず木がちかくにある。葉はつやつやとしていて、白い花びらは厚みがあって、ビロードを思わせる。

 その香りと出会うと、子ども時代の感覚があふれるように蘇ってくる。 というのも、小学生の頃に通ってた遊歩道には左右にたくさんのくちなしが植えられていたから。だから くちなしは、庭木というよりも、街路樹のイメージがある。そして、その香りの強さゆえか、ある意味一番強く記憶を喚起させる花のような気がする。

 くちなしの花を、家の中に招き入れたのはうまれてはじめてだった。いただいたおおぶりの枝の根本は湿らせた新聞でつつまれていて、木の皮のようなものでしばられていた。いくつかついていた花は、わたしが記憶しているよりも、ずっとちいさくてひっそりとしていた。梅酒の瓶に水をたっぷりと入れて生けてみたら、家の中が、しっとりとしたみずみずしい雰囲気になった。もうすこし伸びてゆくような力強さを予想していたので、すこし意外だった。

 香りは、たしかにくちなしではあるけれど、あの圧倒的な強さはなく、控えめと言ってもいいくらい。とはいえ翌日になったら部屋の香りがくちなしでいっぱいになっているのでは、と思っていたら、その予想は見事に外れた。わずかな香りさえも、感じられない朝の空気の中、くちなしは、生き生きと、同時に静かな雰囲気をはなっていた。

 それからすこしたったある日のこと、くちなしの花とつぼみがついたちいさな枝を2本手折っていただいた。こちらはわたしの記憶と近い品種で、香りが強い。車の中はあっという間にその香りで満ちて、けれどもむせかえるほどではなく、楽しむことができる、ちょうどいいバランス。家にもどりコップに挿して台所のすみにおいたら、良い香りが漂った。一瞬不思議に思い、そして、ああ、と納得した。考えたら当たり前のことだが、あの息が詰まるような強烈な香りは、たくさんの木と、そこにたっぷりとついた大量の花が理由だったのだ。同時に、もしかしたら幼い頃のわたしの心持ちにも、その理由がいくらかありそうな気もした。

 大人になったわたしが、あたらしく出会ったくちなしから受け取ったのは、思いもかけぬ気づきのような気がしている。そして、あらゆることは変化し続ける、ということ。耳を澄ませて、心をひらいて、と思う。