星空、プラネタリウム、天文台

 星をよく見る。そして夜空の星々を眺めるときは、いつでも「天文学的数字」ということばが頭にうかぶ。数えきれないほどの数字。測りきれないほどの遠さ。「光年」という単位は、どこまでもひろがるイメージ、あまり考えるとこわくなるので、少しだけ考えてやめにする。

 プラネタリウムに行きたい、といつだって思っている。高知県立図書館(オーテピア)の5階にあたらしくプラネタリウムができたので、常に行く機会を狙っている。市内に出向くのは、月に数回。大抵ため込んだ用事をまとめて片づけるべく車で一時間の高知市内に出向くので、プラネタリウムに行く時間まではなかなかない。それでも、年間パスポートを買った方がお得なくらいの回数は行っている。でも買わない。「パスポートを買えばいつでもただでプラネタリウムに行ける」と感じるのはいかにももったいないから。入場券はたったの500円、小学生はなんと100円。「たったの500円でこんな時間を過ごせるなんて!」と毎回感激したい。

 上映プログラムはなんと自作で、毎回趣向がこらされている。椅子は快適なリクライニングシート、上映時間は45分。始まりは、いつも「屋上から見た今の空」。時間を早回しすると、徐々に空が暗くなり星が見え始める。街の灯りを消すと、小さな星が現れる。説明は毎回職員の人がしてくれるが、わたしのお気に入りはHさん。安定感のある発話とスピード、丁寧な発声が心地よい。もの静かな雰囲気だが、きっと情熱のひとなのだろうと想像する。

 プラネタリウムで特筆すべきは、リクライニングシート。すこぶる快適で、首が疲れないので、星をずっと見ていられる。閉ざされた暗い空間に、気の遠くなるほどの数の星。穏やかな口調で説明される星の配置。すっかりリラックスして、わたしはたいてい途中で眠ってしまう。「わざわざ行って、お金を払って、それで昼寝?」と家族は毎回呆れるが、一向にかまわない。声は無意識に届いているはずだし、星空の下で眠るなんて最高だと思う。とくにその快適さは特筆に値する。屋外ではそうはいかない。まずビニールのシートを地面に敷く。触り心地がいまひとつなので、やっぱりこっちにしよう、と毛布をひっぱりだしてきて地面に広げ、今度は頭の下がごつごつするからと枕を持ち出し、四角に結界のように蚊取り線香を置く。全身に薄手のタオルケットをかぶり、目から上だけを開けて空を眺める。それでも耳元で蚊がぶんぶん飛ぶので、ちっとも落ち着いて星を見られない。結局は蚊に食われたりして、1時間もたたずに引き上げることになる。つまり、プラネタリウムのもっとも素晴らしい点はその快適さにあるのだ。

 星を眺めるのは好きだけれど、星の名前も星座も全然覚えられない。だから説明は毎回新鮮な驚きをもって聞く。「こと座のベガ、天の川のむこうにはわし座のアルタイル、そしてはくちょう座のデネブが夏の大三角形です」と聞くと、もう十回以上聞いているはずなのに、毎回「おお!」とこころの中でどよめく。

 高知の西に天文台があって、去年はよく観測会に足を運んだ。目印のない細い道をえんえんと進んだ先にある、宇宙船っぽいドーム型の観測室は直径6メートル。大きな天体望遠鏡が据えられている。高知のアマチュア天文家の方が交代で講師を観測や指導を担当されている。教室の板張りのには彗星の古い写真のコピーが張られていたり、望遠鏡の模型があったりと、その空間だけ時間が止まっているような印象を受ける。「時間」と言ってもたかだか30年50年のことで、天文学的時間軸で考えれば、同じ点程度のものだろうから、まあたいしたことではないのだろう。なにしろ、南の空に赤く輝くさそり座のアンタレスのひかりが私たちの目に届くまでに500年以上かかるのだから。

 天文台での観測会は、月4回ほどひらかれている。天文台のスケジュールと家の予定を眺め比べて、できるだけコメットハンターの関勉先生が担当の日に行くようにしていた。観測会に行ってまずおどろいたのは、「そこに行けば星が見られるわけではない」ということ。考えてみれば当たり前のことだが、雨や曇りであれば星は見えない。天気予報は目安にはなるが、やはりその場所にその時間に行ってみなければわからない。参加は事前予約制なので(そして冬場は参加者が数名)当日「雨なので」とキャンセルするのはしのびない。

 もうひとつの「!」は、観測所の天井が一部ひらいていること。これも当たり前だが、屋根が閉まっていては望遠鏡を通して星を見ることはできない。望遠鏡の動きはコンピューターで制御されていて、担当のひとが位置を入力すると、ゴーという大きい音とともに、窓の位置が動いてゆく。その音は、ちょっと日常では聞いた種類のない特別なもので、NASA?国際宇宙ステーション?という気分になってどきどきする。そして、この音を聞くだけで、いつも「来てよかった」と感じる。星々とその場にいるひとをつながく音。

 夏は自由研究目当ての小学生たちで教室がひしめくので、観測会は冬が穴場だとか(ただし凍えそうに寒い)。土星のわっかも、ふたご座の星雲も、ここではじめて見せてもらった。そして、北極星の探し方は、そのときは深く納得して「これはわかりやすい」と深く納得するのに、何度聞いてもやっぱり忘れてしまう。

 星への情熱を持ち続けている関先生が、有名な「池谷・関彗星」を発見したのが1965年。観測会がおわると、望遠鏡目指して暗闇の中にすっと消えてゆかれる。すでに6個の彗星と、225個の小惑星を発見しているのに、そして時代はコンピューターで小惑星を発見する段階に来ているのに、まだそのまなざしで星空を追われているのだ。その信念と情熱と、無限の可能性。耳にしたさまざまな逸話は、ほんとうなのかどうなのか、時に神話的ですらあった。

 家で星を見る醍醐味は、なんといっても流れ星。今年のペルセウス流星群のピークは今日から3日後の8月12日。月は半月くらいなので、空はやや明るいが、それでも満月よりはずっといい。毛布と枕と蚊取り線香を準備して、家の前の小道に寝転んで、今年も流れ星を待とうと思う。

プラネタリウム 高知未来科学館 オーテピア
芸西天文学習館