完熟梅のシロップ

 近所の川べりに梅の木があるそうで、毎年そこで梅摘みをしているという友人から「いまから行くんだけど、一緒にどう?」と朝の10時に電話をもらった。こういう突然の誘いは大好きで、「川べりで梅摘み!」と大興奮。様々な家事に高速で始末をつけ、45分後には意気揚々と籠を片手に出発していた。

 その場所は我が家からすぐだった。よく川に子どもたちを遊びにつれていっていたのに、対岸だったからか、これまで梅の木にはまったく気づかなかった。車を道の脇に止め、そうと知らなければ気づかぬような草で覆われた小道を下ってゆくと、立派な梅の木が何本もあって、下にはどくだみの花が静かに咲いていた。

 「今年は少ないのかな、もしかしたら他の人がもう採った後なのかもしれない」と言いながら、ブルーシートを敷いて、持参した棒で木をゆらして梅を落とす彼らは見るからにエキスパート。よく見ると、葉はあおあおと茂っているけれど、実はぽつぽつとしかついていない。けれどもりっぱな大粒の青梅。

  ふと足元を見ると、黄金色の完熟梅がそこここに落ちている。落ちた梅は傷みやすいので梅干しにはあまり向かないけれど、ジャムにするとすばらしくおいしく仕上がる(皮を取るのが秘訣)。熟れた香りもすばらしく、草を両手でかきわけながら 、色づいた梅を 探し求める。裏側が傷んでいることも多く、落ちたばかりのきれいな梅を見つけると、宝物を見つけたようにうれしい。これは、子どもの時の虫取りや貝拾いに近い感覚。

 お昼が近くなったので「もう帰るね」と木の上の友人を見上げると、「おみやげがあるよ!」とかろやかに飛び降り、自家製の高菜漬けをたくさん、それから畑で採れたズッキーニと玉ねぎ、にんにくを手渡してくれた。わたしはひとにぎりの落花生の種を渡した。

 家に戻り、さて、この梅をどうするか、と梅の香りに包まれながら考える。梅干しもできないことはなさそうだがいかんせん量がすくない。ジャム担当の夫はといえば、忙しそうでちょっとお願いしづらい雰囲気。今年はじめての梅だから、すぐに仕上がって欲しくて梅シロップをつくることにした。

拾った梅は1キロほど。

 びんに梅と同量の砂糖を層になるように入れ、水分が上がるのを待つだけの簡単な作り方だが、普通は青梅で作る。完熟梅だと空気に触れている部分がかびたり傷んだりしそうなので、一日に幾度も瓶をころがして、液体を梅の実にまとわせるようにする。以前作った時は気づいたらアルコールの匂いがしていたので発酵に気を付ける必要がありそう。短時間で、素早く、でき上ったら冷蔵庫へ、がポイント。

 びんは、 おそらく古いもので、捨てられていたのを拾った。透明なみどりがかった青で、手吹きのゆらぐような風合いと薄さが気に入っている。ふたはないので、かわりにみつろうラップをきっちりとかぶせる。

 びんの横を通り過ぎるたびに瓶をぐるぐるとまわしていると、すぐに液体がにじみ出てきて、2日目にはもうずいぶんとシロップがあがっていた。

 さっそくスプーンですくいとり、水でうすめに割って飲んでみたら、青梅のさわやかさとはまた違った、おっとりとした甘やかな味と香り。川べりの木から落ちて、そのまま土にかえるかもしれぬ運命にあった梅と、あの日のしっとりとした水分を含んだみどり。瞬間、目の前のコップ一杯の飲み物が、いまと川べりでの時間をつなげてくれているような気がした。