夜明け前の魔法

久しぶりに朝4時に目が覚めた。
外はまだ暗いはずなのに、窓の外は明るい。引き戸をあけると、西の空に丸い月が浮かんでいた。そういえば、今日は満月なのだった。

 窓をあけて、新鮮な空気を部屋に入れる。布団をたたみ、床を拭く。昨夜は寝るのが遅かったので(とはいっても22時)、書きそびれた日記をつける。日記とはいっても簡単な覚え書き程度のもの。

 それから少し、本を読む。朝起き抜けの本読みは、ちょっとぼうっとした、それでいてまっさらな頭に浸み込んでゆく感じがいい。

 そうこうしているうちに、5時になる。寝起きしている小屋の表にでると、あかるい月はすでに西の山に隠れていた。外はまだ暗く、空気はひんやりとしている。

 そうっと母屋の玄関をあけて、こどもたちの様子を見がてら薄手のふとんをかぶせる。

 夜明け前の空気の静けさは特別。電気をつけた瞬間に、その静けさが消えてしまいそうで、浴室からろうそくを持ちだす。音を立てないように昨夜の洗い物をしながら、やかんを火にかける。

  お湯が沸くのを待ちながら、急須と片口、紅茶用の器を出す。手元にある紅茶はインドから持ち帰ってきたニルギリとアッサム。その日の気分で選ぶが、混ぜることもある。今日はアッサム4gとニルギリ2g。なんとなく、そんな気分だったのだ。

 紅茶はいつもの手順で入れる。器を温めて、茶葉を入れ、沸騰した湯を注ぎ、3分待つ。ただそれだけのことなのに、夜明け前だとすこし儀式めいた雰囲気になる。日中はいつもいそがしい頭の中も、静まりかえった空気のなかではしん、と落ち着いている。

 器になみなみと注がれた牛乳入りの紅茶を、サイドテーブルがわりの丸椅子の上に置いて、ソファに座る。そして、友人から借りた読み物を「すこしだけ」と思いながらひらく。昨日読んでいいな、と思った文章をもういちど読み返し、ぼんやりと考え事をしてから、新しいページをめくる。

 もともと、効率よく作業をするためにはじめた早起きだった。でも、いちばん静かな時間は、ほんとうはどうすごすべきなのだろう。外も、自分もしずまりかえっている。紅茶をいれることも、飲むことも、本を読むことも、すべてがひそやかな時間の中にある。

 だから、コンピューターの電源を入れる気には到底なれず、紅茶を何杯も注ぎ、文章を読み、ぼんやりとすごしていた。すると、突然外があかるくなった。時計に目をやると、朝の5時45分。

  瞬間、ろうそくの存在感が薄まり、夜が明けた以外は何もかわらないのに、静けさはみるみるうちに遠のいていった。まるで、魔法が解けたようだった。部屋が明るくなると同時に現実感が増していった。

 ひかりに音はない。それなのに、だんだんに騒がしい感じがしてくる。朝ごはんとか、今日の予定とか、いろいろな事柄が頭に浮かんでくる。さっきまでの時間が夢のようにも感じられる。



  でも、一日がはじまるのは喜ばしいことなのだ、きっと。現実的な空気も、朝ごはんも、起き出した家族のにぎやかさも。

 夜明け前は魔法の時間。たとえ明日早起きできたとして、あの静けさに再び出会えるのだろうか。あるいはあれは満月の朝の特別なだったのか。

 こころもとなく思いながら、それでも心のなかにわずかのこる静けさを「夢ではなかった」と確認するように、冷めた紅茶の最後をすする朝6時なのだった。