鶏挽肉、畑、そしてお風呂

 木曜日は、合気道の稽古の行きがけに生協(土といのち)の食材を受け取りに行くのが習慣になっている。その日は、あわてて家を飛び出したので、うっかり保冷バックを忘れてしまった。受け取った食材の中に、冷凍の鶏挽肉があるのをみつけて、「ああ!」と思う。稽古を終えて家に戻る頃には、すっかり解凍してしまうだろう。

 車を走らせながら、この鶏挽肉をどうしようかと考える。わが家では、肉料理はだいたい週に1回くらいなので、料理する私にとっては一大イベント。いかにハイパフォーマンスを生み出すか、真剣に考える。

 とはいえ他の材料との兼ね合いもある。そういえば、先週南インドカレーに添えようと思って買った餃子の皮が残っていた(油で揚げたてぱりっとさせたものをカレーに添える。南インドのパパドの代わり)。ならば鶏肉の餃子にしよう。

 きゃべつも白菜も季節ではないので、にらをたくさん入れることにした。スーパーの産直コーナーにでにらを買おうと考えていたところ、そういえば、と畑ににらがあることを思い出した。

 ざるを片手に畑に向かうと、にらがあるはずの場所は草ぼうぼう。植えた場所を覚えていなければ、おそらく見つけるのは困難だろう。それでもまわりの草を刈りながら一本づつ摘んでみると、けっこうな量がある。

 つづいて茂みに分け入りみょうがの宝探し。いくつかを見つけて歓喜する。きゅうりを2本、そして、その存在をわすれかけていた青じそも発見。生姜を一本引き抜いたら、新生姜がすでに少しついていた。種として植えつけた部分と、新しく伸びてきた新生姜、両方使えるのがうれしい。畑はいつだってワンダーランドだ。

 きゅうりと新生姜をぬか床に漬け込んでから、餃子を作り始める。ボウルに、鶏ひき肉、おろした生姜とにんにく、つぶした黒胡椒、片栗粉と塩、日本酒すこしを入れる。片栗粉は、火が入った時に、野菜から出る水分を肉と一緒にまとめるため。

 にらをみじん切りにして加えてから、あ、と思う。みょうがもしそも薬味。ならばこれも畑でのご縁、すべて入れてしまおう。どちらも細かに刻んで加える。

 よくよく混ぜて、餃子の皮に包み、片栗粉をおしりにつけてバットに並べる(水分が出てきてくっつくのを防ぐため)。余った分を冷蔵庫に入れておけば、明日の朝、お弁当用に揚げるだけである。 

 皮が足りず、あんだけが残ったので、小鍋に鶏がらスープ(あるいは出汁、なければ水だけでも)を入れて、煮立ったところに、まるめて投入する。

 残っていたにらを刻み入れ、キムチを加えて塩と醤油、ごま油で味をつけたら、鶏団子とキムチのスープができあがった。思いがけず生まれた、しずかな夜にひとりで食べるのにぴったりのスープ。

 鶏挽肉解凍の動揺からの、思いがけない料理の流れに満足しながら、目に入ったのは流しのすみに転がっている生姜の茎と葉。切り口の匂いをかいでみると、さわやかな芳香。瞬間、端午の節句の菖蒲湯が頭をよぎり、香りが重なる。菖蒲だって生姜だって、結局は同じようなものではないかとそのままお風呂に投げ込んだ。

 台所を簡単に片づけて、明日のお米を研いでからお風呂に入ると、あたたかなお湯に、すっとした、けれどもおだやかな香り。生姜そのものの香りではなく、えも言われぬ生姜の茎と葉の香り。

 電気を消して、ろうそくをつけると闇が香りを際立たせる。 葉はそのまま捨てられてしまう運命にあったのに、思いつきひとつで、その隠されたすばらしさに出会うことができる。予期せぬ鶏挽肉の解凍は、ここまでわたしをつれてきてくれたのだった。