グラタンはごちそう

 懐かしい母の料理といえば、唐揚げとマカロニグラタン、それから鮭のおむすびです。唐揚げは、おろした生姜とにんにく、日本酒で下味をつけてから小麦粉を混ぜて揚げます。グラタンはハウスの紙パックを使っていました。鶏肉か小海老が入っていて、上にはクラフトの粉チーズ。グラタン専用のお皿に入れて、1人分づつオーブントースターで12分焼くから、焼けたひとから食べはじめていたような気がします。

 チーズの焼ける匂い、「チン」というオーブントースターの音、まだかなあ、と待つ時間。母は唐揚げもマカロニグラタンもつくらなくなって久しいけれど(父が糖尿病で揚げ物や高カロリーのものはNG)、またいつか食べたいなあ、と思い続けています。

 わたしの唐揚げは母のやりかたを忠実に踏襲していますが(けれどもあれほどはおいしくならない)、グラタンはといえば、まったく違う作り方です。まず、器。35×25センチくらいの巨大なバットにあふれんばかりにつくります。材料は、玉ねぎ1.5キロ、牛乳1ℓ、鶏肉は少なめで200gくらい(なくてもいい)、それからパスタを500g。

 まず、小さめに切った鶏肉におろしにんにくと塩と胡椒をまぶします。オリーブオイルでざっと炒めて火が通ったら取り出しておきます。同じ鍋にオリーブオイルを足して(けっこうたくさん)、玉ねぎを大量に薄切りにしながら、火をつけた鍋に次々と投入して炒めはじめます。全部が鍋に入ったら、強火で5分炒めて、火を消して冷まして、また炒めて、を3回ほど繰り返すと長時間炒めたのと同じことになります。トータルの時間は長くなりますが、火につきっきりにならなくてよいのがよいところです。
 
 このグラタンのベースは、断然「たまねぎからでる旨味」なので、ここはぜったい外さずに、情熱をかけて炒めます。途中塩をすこしいれて、甘みがでるほどに炒まったら、粉を大きなスプーンで粉をざっと5杯くらい入れる(カップ分4分の3くらい?)。粉っぽさが残らぬよう、しっかり炒めます。焦げ付きそうになったら、火を止めて、すこし休むと鍋肌がこそげられるようになります。

 以上のようにして、よくよく炒めたら、牛乳を少しづつ入れてだまにならないように中火にかけてまぜ続けます。ぐつぐついってきたら、火を弱めてさらに数分 。しっかり煮ることで粉っぽさが解消されます。鶏肉を加えます。 ちょっとかためかな、と思ったら水を入れてちょうどよい硬さに仕上げます。塩と胡椒で味を決めます。

 だいたい、ここまでが前日の作業。グラタンって簡単にもできそうなんですが、大量の玉ねぎをたくさん、えんえんと炒めるこのホワイトソースづくりはけっこう時間がかかるので、二日に分けてつくります。

 翌日、マカロニ(なければパスタ)を茹でて、オリーブオイルをしいたバットに入れ、全体をトングでほぐしながらオイルをまぶします。ホワイトソースの半量を加え、よくまぜてから残りのホワイトソースを、均等に上に流し入れます。あればパルミジャーノをたっぷりと(すごくおいしくなる)。あるいはパン粉でも香ばしくなります。

  230℃くらいのオーブンに入れて、周囲がぐつぐついってきて、表面んによい焦げ色がつくまでしっかりと焼きます(ぬるいグラタンほどかなしいものはありません)。大盛りのサラダとともに、テーブルに3キロほどあるグラタンをどん、と置いて各自好きなだけ、盛大に食べます。大人はイタリアンパセリのきざんだのや、つぶしたての胡椒を各自ふります。バターを使わず、肉も少量なので、どんなにたくさんたべても大丈夫です。

  わが家は牛乳が貴重品(近所の山の放牧牛乳)なのと、いかんせん大がかりな料理とも言えるので、グラタンはごちそう。ごちそう、とはいっても誕生日は記念日やお祝いの日につくるのではなくて(そういう日は緊張してしまってむしろ粗食に)、賞味期限が切れてしまった牛乳がたっぷりあるときにだけ、「ごちそう気分」でつくります。

  残ったグラタンを、翌朝オーブンや蒸し器で温めなおして食べるのが、すごく好きでなのですが(パスタがすっかり水分を吸ってやわらかくなっている感じがほっとする)、たいがい前夜のうちに大きなバットはからっぽに。たまに残っているときは、朝からうれしくて、「グラタン、グラタン」と思いながら意気揚々と家事をして、すっかりおちついて腹ペコになった10時ごろにおもむろに温めはじめます。

 翌朝おいしいものってたくさんあります。鍋にいっぱいつくった野菜スープ、天ぷらののこりを甘辛く煮たの、それから少し残しておいたミートソースを食パンにのせて(チーズを忘れずに)焼いた「ミートソーストースト」。おちらしを蒸して、「蒸し寿司」にして海苔で巻いて食べるのもすてきです。

 料理は、できたてのベストタイミングがいちばん、という気持ちがもちろんあるけれど、もしかしたらもっと好きなのは、「昨夜の残ったおいしいものを、翌朝一人でこっそりと食べること」なのかもしれません。