タチウオとアップルパイ

週末はなにかとあわただしい。ごはん、おやつ、洗いものの果てしない繰り返し。子供たちの旺盛な食欲と、次々と投げかけられる質問とリクエスト。元気でなにより、と朝には思っていても、昼過ぎにはいささかくたびれてくる。だから午後になると、畑に行ったり、買い物や用事を済ませるからと、町に出る。

特別支援学校に通っている高1息子の週末の楽しみは「魚さばき」。日曜の朝には魚屋さんに電話をして、メモをとる。まだ布団の中にいる私に向かって「お母さん、今日の仕入れを発表します」とリストを読み上げるのが習慣になっている。この日はタチウオを取り置いてもらった。

出かけついでに、ここ数日送れずにいた小包を郵便局で出して、記帳をして、図書館に本を返却して、娘に頼まれた卵を買わなければ(フィナンシェを作るらしい)。忘れないようにと、頭の中にメモする。

そういえば、朝起きてから、気づけばお茶の1杯も飲めていない。出がけにあわてて紅茶を入れるよりも、帰りに行きつけのカフェに寄ろう、と思う 。日曜の午後はMちゃんがよくいるから、もし会えたら、と先日大量に作った大根の漬物を瓶に詰めた。

車を走らせること30分、目当ての魚屋さんに着く。97センチの見事なタチウオをクーラーボックスに入れてもらい、次は卵…と思いながら国道を走っていると、前方に見覚えのあるバイクが。カフェで会えるかも、と思っていたMちゃんだった。「大根の漬物渡さなきゃ!」との一心で、バイクを追い越し、少し先で車を止めて、外に出て大きく両手を振る。

気付いてバイクを止めた彼女と、まさかこんなところで、とひとしきり驚きあってから「これからどうするの?」と聞くと、私が以前から行きたいと思っていたカフェに行くと言う(いつも彼女と会うカフェとはまた別の場所)。しかもそこにはアップルパイがあるというのだ。アップルパイは大好物。そういえば、ここ数日「アップルパイ…」と思っていたことに気づいて、思わず「一緒に行ってもいい?」と口にしてしまう。小包も、図書館も、フィナンシェ用の卵もすべて投げ出して(その後Mちゃんに「小包は出した方がいいです」と言われて郵便局に向かった。本も返して、卵も忘れずに買った)。

バイクは近くに停めることにして、私の車で西へさらに30分。おしゃべりをしているうちにあっという間に目的地に着く。たのしいおしゃべりはいつも魔法のように時間を圧縮する。

たどり着いたカフェは、黒い外観とやや緊張感のある雰囲気。センスがよくて、でも段ボールや豆の大袋がそのあたりに置いてあったりとざっくりとした感じも好ましく、カリフォルニアのおしゃれでフレンドリーなお兄さんがやってるコーヒースタンドみたい、と思う。

カフェラテとアップルパイを注文して、壁際のベンチに座る。はじめてのお店に入ると、旅先にいるような気持ちになる。新鮮な風景とうっすら心細い感じ。でも大丈夫、となりには友がいる。 それに、なにより注目すべきは、1時間前にはこの場所にいるとは思ってもいなかった、ということ。いま、この瞬間はまごうことなき「本日のハイライト」なのだ。

店主は若く言葉すくなで、カウンターの上で、ケーキの材料が入ったボウルを全力で混ぜている。そのパワフルな動作は、高校の部活動を思い出させる。なんでもパウンドケーキを作っているらしい。彼の手から生まれたカフェラテの泡は細やかで、アップルパイは素直な味。通勤途中にこんな店があったらどんなにいいだろう、とぼんやり外を眺めながら思う。

夕方には家でタチウオをさばくというミッションが待っているので、時間はあまりない。滞在時間はわずか数十分。でも、大事なのは時間ではない、密度なのだ。たった5分であったとしても、その日の印象が大きく変わることがある。

思いがけない週末の午後を過ごせたことが、にわかにうれしくなってきて、家で子供と過ごしている夫のために、コーヒー豆とバタークッキーを買う。バタークッキーはごく素朴な見かけで、店主は別のコーヒー豆をおまけにと手渡してくれた。

偶然はすてき。そして、その偶然を共に過ごすことができる友がいることはもっと素敵。それは、偶然そのものの色に、また違う色が重ねられ、思いがけない色彩が目の前に立ちあらわれるから。

そんなことを思いながら、 日の沈みかけた夕暮れ、出刃包丁を取り出し、きらきらと光るタチウオをまな板の上にのせたのだった。