はちみつ

 小屋で昼寝をしていたら、「服部さーん、服部さーん!」と呼ぶ声がした。お隣のおじさんの声だ。外から大声で呼ばれたら、それはたいがい「いいものあるからおいで」の意味。あわてて小屋から飛び出して行くと、すでにこどもたちが群がってわあわあ言っている。「はちみついるかえ?」(土佐弁で「~か?」にあたる)と指さされた先を見ると、バケツいっぱいの蜜蜂の巣だ。

 こんな瞬間はいつだって思いがけずやってくる。自分の力では手の届かないものが、軽やかに眼の前に差し出されたときの興奮。蜜蜂は年々減っているらしく、聞けば今年は巣箱を20箱設置して、蜂が入ったのはたったの4箱だとか。うち3箱は西洋みつばちで、1箱が地蜜(じみつ)と呼ばれる野生の日本みつばち。今回いただいたのは、貴重な後者だった。

 「こんだけあったら一升はあるろう」(これだけあったら一升はあるだろう)と渡されたバケツはずっしりと重い。高知に移住して、液体の量を示すときには、「升」とか「合」という単位が普通に使われていることに気づいた。お酒は一升瓶で買うし、柚子はしぼって一升瓶に詰める。この単位を聞くたびに爽やかな風が吹き抜ける。グラムやキロではない、日本の単位。土地のひとが「一升はあるろう(あるだろう)」と口にするのを聞くたびに、格好いいなあ、と思う。こどもたちは「はちみつちょうだい、はちみつちょうだい!」とせがみ、わたされたひとかけらの蜜を巣ごと口に放り込んで「あまい、あまい」と大興奮。

 さてこの蜜をどうするか。蜂蜜を巣ごといただくのは3回目、慣れてはきたが、べとべとな蜜に一瞬ひるむ。さらにこの季節はアリ問題がある。幸い夫が蟻退治に情熱を燃やしているので、差し当たっては大丈夫そう。

 まず、ざっくりと巣と蜜をわける。大きなボウルの上にざるをのせる。巣の表面のうすく覆われている部分を蜜が落ちやすいようにナイフでそぎ取ってからざるに入れる。バケツの底にはすでに蜜がたっぷりたまっている。甘い匂いに包まれながら、夏休み中の6才の息子とえんえんと作業する。

 ざるで濾した蜜にはまだ巣のかすが残っているので、布で濾して瓶に落とす。ただそれだけのシンプルな工程で黄金色のきらめく蜂蜜が生まれる。

 すぐには巣から蜜が落ち切らないので、数日かけてすっかり蜜が落ちてしまうまで待つ。全部越してしまってからの方が効率は良いが、待ちきれずに、さっそく溜まった蜜の瓶詰にとりかかる。家にあるあらゆるサイズの瓶をかきあつめて煮沸消毒して、詰めれば終了。小瓶はおすそ分け用。瓶につめられた蜂蜜を眺めて、億万長者の気分になる。買えないものは、なによりも貴重だ。そもそも地蜜は高価でとても手がでない。夏場さえ気を付ければ(経験上地蜜発酵しやすいので夏場は冷蔵保存)、何年でも保存できるらしい。ずいぶんたくさんとれたので、大切に食べれば、2年くらいははちみつのある暮らしができる。

 はちみつは、加熱すると味も香りも栄養価も落ちるそうだ。安価なものには糖分が添加されているとも聞く。こどものころ、給食に出てきたはちみつ(プラスチックのチューブに入っていて、てっぺんについている丸い部分をねじりとって開けた)を食べると、のどがきゅっとしたのはそのせいか。その頃家にあった蜂蜜もついぞおいしい思ったことはなかった。

 はちみつをはじめておいしい感じたのは、学生の頃にイタリアとフランスの国境近くに友人を訪ねていったときのことだった。あの土地はなんという名前だっただろう。帰りがけに手渡された大きな容器に入った半キロほどのはちみつは、いま思えば自家製だったのだろう。日本に戻り、さしたる期待もなくそういえば、とひらいた蜂蜜は、比喩でなく、夢の味だった。その豊かな香り、味、あまやかさ。蜂蜜ってこんなにおいしいものだっんだ、とすっかりとりこになってしまった。「はちみつがすごくおいしくて、おどろきました。またたべたいです」というような手紙を間違いだらけのフランス語で書いて送った。その時も、今も、場所さえわかれば訪ねて行って、あのはちみつをもう一度、と思う。

 そのときからだった。どうやらヨーロッパの蜂蜜はおいしいらしいということに気づいたのは。以来、旅するごとに土地の蜂蜜を求めた。どこの市場にも蜂蜜専門のお店があって、いまだ心に残っているのは、イタリアの小都市(クレモナだったかあるいはパルマか)の市場で買ったたんぽぽのはちみつ。

 それからずいぶん時がたって、高知の山の中に住む友人をはじめて訪ねた時に、近所の直売で地蜜を買った。それははっとするほど魅力的な香りと味だった。その時は、半年後にその友人の手引きで、同じ集落に引っ越すとは思ってもみなかった。さらに高知移住から1年半後、再びあたらしい場所に住まいを移し、近所の方からはちみつを巣ごとわけていただけるとは、だれが想像し得ただろう。思い返せすと、はちみつはいつも出会いと結びついていた。

 はちみつは、そのままバタートーストにのせるのがいちばん。カットしたくだもとマリネして冷やせば香り高いデザートの上等に。冬、眠れない夜のカモミールティーにひとさじ落とすこともある。そして冬に作るパンデピス(フランスの郷土菓子。蜂蜜がたっぷり入った素朴なスパイスケーキ)。こんな上等なはちみつを、しかも火をいれるなんて、との私の抵抗にもかかわらず、 「はちみつの入らないパンデピスなんて!」 と夫は毎年作るのを楽しみにしている。

 はちみつは、とろりとした質感も、輝く色も、夢のような香りとあまやかさも、すべてを含んでいて、そしてもっとも物語の可能性を秘めた食材だと思う。まだ夜の明けない早朝、そんなふうに思いながら、軽くなった巣の入ったざるを持ち上げ、ボウルの底にまたすこしたまった蜂蜜を眺めるのだった。