蝋梅と小包

 好きな花はと聞かれたら、蝋梅(ろうばい)、貝母百合(ばいもゆり)、梅花空木(ばいかうつぎ)と答えます。こう並べてみると、梅にちなんだ名前のものに惹かれるようです。 都会に住んでいた頃の20代は、花屋に行くとたいてい白いフリージアを選びました。見かけが地味で香りのよいから、というのがその理由でした。

 1月のはじめ、思わず立ち止まってしまうような香りが漂ってきたら、それはきっと蝋梅です。枯れたような風情の枝に、鮮やかとはいいがたい黄色い花がぽつぽつとついているので、まわりをじっくりみまわさないと見つけることができません。蝋梅は名の通り、花弁は蝋のような半透明で、花屋で見かけることは少ないように思います。

 ある日、直売で野菜を選んでいるときのことでした。世にも高貴な香りが漂ってきてたので、あ、と振り向くと、大きなバケツに蝋梅の枝が無造作に投げ入れられていたのが目に入りました。ちいさく息を飲んで、一枝持ち帰り、車の中に満ちたその香りに包まれながら、その花がこの世に存在しているというだけで、世界から祝福されているように感じたのでした。 


  小包、というのは届くのも出すのもうれしいもので、以前友人から届いた小包には、パジャマの上(共通の友人が仕立てたものを、回し読みならぬ回し試着するのが今回の主旨)とがりっとしたクッキーがひと袋、鎌倉の名店のコーヒー豆、それから枝付きのレーズンとうつくしいカードに書かれたメッセージが入っていたのでした。

クッキーは7枚入りだったので、包みをひらきながら一枚、メッセージを読みながらもう一枚、と立て続けに3枚食べ(連続して食べるとおいしさが深まるとおもう)、残りの4枚は家族4人がいちまいづつうれしく食べたのでした。

 小包の効果を最大限に発揮させるためは3つのものを入れるとよい、と思っています。すなわち、読み物、食べもの、植物。

 読みものは、手紙がいちばん。加えて新聞記事や雑誌のページ、美術館や映画のちらしなど、自分がたのしく読んだもの(でも取っておくほどではないもの)を。わたしは高知に住んでいるので、県外のひとには、高知新聞の投書欄「声ひろば」なども地方情緒が感じられてよろこばれます。
 
 食べものは、ぜひすぐ食べられるものを。焼き菓子が王道。わたしは自分であまり甘いものを買ったりはしないのですが、 その思いがけない甘やかさがうれしくて、 小包に入っているお菓子は大好きです。 いまの季節にわたしが送るのであれば、手元にあるみかんや金柑(そのままかじれます)、干し芋や干し柿を入れることが多いです。あまり気張らず、普段自分が食べているものをひとつふたつ、うすい紙に簡単につつんで入れる感じです。

 「すぐに食べられるもの」であるべき理由は、小包をひらきながら、そして入っている読み物を読みながら楽しめるから。文字と味覚の複合作用で幸福度がだんぜん上がります。
 
 そして最後は植物。手近にある野の草花、小さく折った花付きの枝や新緑の芽ぶき。あるいは月桂樹の葉を一枚。

 植物を小包にいれるようになったきっかけは、以前住んでいた京都でのことでした。高知の柑橘農家さんから宅急便で届いた、10キロ入り文旦の箱の右上にマジックで「桜在中」と書いてあったのです。「桜???」とおもいながら、箱を開けると、なんと!器用にまるくたわませた桜の枝が文旦の上に入っていたのでした。箱から出してみると、思いのほか長く(1メートルくらい)、そしてそのつぼみは日を追うごとに少しづつ、ひらいてきたのでした。こんな寒い季節に桜が?と不思議におもったのですが、その名が、「雪割り桜」だということは、のちに移住した高知で知ることになりました。まだ雪の降る寒いさなかに咲き始めるのが由来だそうです。
 
 こうして、「桜在中」と書かれた箱を受け取った、その感激の日から、わたしも小包に植物を入れるようになりました。 

 小包は、包みをひらきながら食べられるものと読むものが入っていたら、ただそれだけで、確かな幸福を感じられます。そして、草花は季節がめぐっていることを知らせてくれます。そんなわけで、小包は世の中でもっとも好きなもののひとつなのです。