2020/6/19
朝はあたたかな一杯の紅茶からはじまる。朝食はとらず、すこし仕事をしておちついたころに「特別な飲みもの」をつくる。
大きくて薄いグラスに入れるのは3種類。まず、友人がつくった50の野草が入った「秋の酵素シロップ」、それから川べりで拾った完熟梅でつくったシロップをひとさじ。シロップの梅の実もひとつ落とす。そこになみなみと水を注ぎ、シロップをすくったスプーンでかき混ぜる。仕上げにはフラワーエッセンスを数滴。これはかつて暮らしていた海辺の町に住む友人から届いたもの。
できあがった一杯は、水にごくうっすらとした甘やかさと香りがついたもの。その薄さゆえか、同じ配合なのに、毎日すこしずつ雰囲気が変わるのがおもしろい。洗濯機を回したり、一日の予定を書き出したりと、家事に少しづつ手を付けながら、時間をかけて一杯を飲み干す。
50種類の野草って、一体全体何が入っているのだろう、と考える。瓶を手渡されたのは、ずいぶん前のこと。もう夏も目前なのに、秋の野草のエネルギーを取り入れるのはおかしいようだが、冷蔵庫での冬眠時期を経て、今こそがこの瓶のふたをあけるタイミングのような気がしたのだ。
そんなことを考えながら、今度は川べりでひろった梅の黄金色と、初夏の緑のコントラストを思いだす。あの日から数週間、草木は勢いを増し、季節はダイナミックに変化し続けている。夏至も、すぐそこ。春分からはじまって、ひとつの季節の区切りが近づいている。6月21日、夏至の夕方には、天気さえよければ、西の空に部分日食を見ることができる。
そうして、もう何年も会っていない海辺の友に、今日こそ手紙を書こう、と思う。いや、やっぱり声を聞きたいから電話をかけてみよう。
シロップはスプーン一杯分づつ確実に減ってゆく。瓶がからになったら、もう、それでおしまい。その時にはすでに次の季節を迎えていて、あたらしい一杯をつくりはじめているのだろう。
儀式めいた朝の一杯は、いまと過去をゆるやかにつなぎながら、あたらしい一日の扉をひらいてくれるように思う。