のりだんだん

 海苔弁のことを、わたしの育った家では「のりだんだん」と呼んでいた。「のりだんだん」は、ごはん、海苔、ごはん、海苔と重ねていくお弁当のこと。

 調べてみると、「のりだんだんは横須賀市民のソウルフード」、「横須賀市民の遠足のお弁当は必ずのりだんだん」、「のりだんだんは、横須賀を中心とした地域のみの名称だと判明」 との記述を発見。

 私の母はまごうととなき横須賀育ち。なるほど、そうだったのか!「のりだんだん」は我が家だけではなく、広く横須賀に流布していたものだったのだ。  

 作り方は、ごはんの上に海苔をのせてお醤油をのばす、を2回繰り返す。材料は海苔と醤油。簡単と言えば簡単だが、海苔を弁当箱のサイズに合わせて切ったり、海苔をのせて、醤油をのばして、ご飯をのせて、の繰り返しは意外と根気がいる。ひとつふたつなら「ちょっとの手間」でできるところ、たとえば家族の分5個つくるとなると、とたんに「大プロジェクト」になる。

 のりだんだんのアレンジ版として、鰹節をごはんと海苔の間に挟むと、それだけでおかずがなくてもいいくらいの完成度になる。しかし、一旦この華やかな味にに慣れてしまうと、伝統あるオーソドックスな「のりだんだん」を物足りなく感じてしまうおそれがあるので、基本的には鰹節なしで作る(と書きつつ、おかずが質素すぎて鰹節バージョンが多いこの頃)。

 母のつくる「のりだんだん」は、 上からも側面からも、ちらりともごはんが見えないように海苔がかぶせられ、 表面が常にぴっちりと張りつめていた。

それが普通だと思っていたので、 ごはんの上ににふにゃっとした海苔がのせられた同級生のお弁当を見て、「こんないい加減なのりだんだんもあるのか」と驚いたものだった。わたしのお弁当の海苔は他の誰よりもきっちりと貼られていた(そして誰よりもおかずが地味だった)。

 わたしの「のりだんだん」はわりあいざっくりとしている。それでも作るときはいつだってあの「きっちり感」を思い浮かべる。でも、思い出すだけ。 大概はしっこからごはんがちらっとのぞいてしまう。 お醤油は「もうちょっと濃かったらいいのに」と思い続けていたので (けれどもなぜか言わなかった)常に多めを意識する。

 先日の「のりだんだん」のおかずは、揚げ餃子の上に、みょうがの甘酢漬けをのせたもの。それにきゅうりの糠漬けにらっきょうと山椒の醤油漬け。「のりだんだん」の時は、あまりおかずの種類が多くない方がシックに見える。

 シックに見せようとおもっておかずの種類を加減しているわけではないが(いつでもおかず不足気味)、白いご飯だといかにもさみしげなお弁当も、きりりとした黒の「のりだんだん」との組み合わせならばむしろ視覚的に優れていると気づき、お弁当づくりの突破口をひそかに見出した心持になり、ひそかに勇気を得たのだった。