柿の日々

 ここ数週間でいったい柿をいくつ採っただろう。
今年は柿のなり年。だいだい色に輝く柿が、枝がしなるほどになっている。

「柿なんてだれも食べん。どうせぜんぶ落ちるだけや。好きなだけ採ったらえい」

 毎年そう言ってくださるのは、となりの集落の方。農機具(トラクターとか)が趣味で、それを乗りたいがためにお米を作っておられるという奇特な方である。

 熟れた柿はどんどん落ちてゆく。一刻でも早く救出を!ということでい、いそいそとコンテナと高枝切りばさみをかついで意気揚々と出向く。

 木はいくつもあるので、今日はこの木、と決めたらまず「よろしくおねがいします」とご挨拶。ひとつもいで、皮ごと食べて味を確認(渋柿の木もいくつかある)。木ごとに味がちがうが、いずれもおいしい。いくつたべても飽きない味。

 持ち主は「ほったらかしなだけや!」とおっしゃるが、つまりは、貴重な無農薬、無肥料。柿はともするとぼやっとした味がするが、ここの木の柿はどれも透明感がある。

 「やっぱりおいしい」と思いながら、高枝切りばさみで枝ごとどんどん切って、一カ所にまとめておく。ある程度たまったら、やわらかな土の上にぺたりと座って手ばさみでへたの部分を切り、入れ物に入れてゆく。この時間が、秋のなかでいちばん好き。

  柿は無数にあるから、採っても採ってもなくならない。気が付くと、入れ物が一杯になっている。25キロほどになるだろうか、とてもひとりでは持ち上げられず途方にくれていると、いったいどうしてるのだろうと、持ち主の方が様子を見に来てくださった。手伝ってもらって、よいしょ、よいしょと車に運ぶ。そしてまた、柿の木に戻る。

  さて、山ほどの柿をいったいどうするか。わが家でも毎日食べるが、とても食べ切れる量ではない。ほうぼうにおすそ分けして、くだものが好きな友人知人に箱に詰めてせっせと送る。北海道にはどうやら柿がないらしいから、まずは北の果ての友に。

  季節のものをふんだんに収穫させていただいて、喜んでくださる方にお分けする。たぶん、わたしがいちばん好きなことのひとつ。

  「おすそ分けしたり、お友達に送ったりしてもいいですか?」と聞くと、「そんなの好きにしたらえい!」と笑顔でおっしゃってくださるあの方の広い心には感謝するよりほかない。

  午後のひかりのなか、時間が過ぎるのも忘れて、柿を採り続ける。つかれたら、地面に座って柿をひとつ食べる。かごいっぱいになった柿と、その重さに、今年もまた胸がいっぱいになるのだった。