2020/6/26
梅雨の晴れ間をねらって、じゃがいもを収穫した。早い人は2月末から植え付けをはじめるが、私はいつも春の気配がしてくる3月からようやっと耕しはじめるので、早く植えないと!とあせりながらも結局は植え付けは中旬から下旬になってしまう。なかなか着手できないのは、たぶん、気温の低さとと日が短いのと、寒々とした畑の風景のせい。先を見越して準備する、ということが何年経ってもできないので、もうこれは諦めるしかない。
じゃがいもは春と秋、年に2回植えるチャンスがある。去年の秋は、5つほどの種芋を、この時期に?というタイミングで苦し紛れに植え付けた。当然のことながら出来も悪く、収穫量はわずか。あわせて1キロにも満たなかったと思う。がっくりして、種用に残すのも忘れて、全部食べてしまった。
そして、今年の春。植え付けの時期になって、種芋がないことに気づいて、どうしよう、と思っていたら、いつも畑の野菜を分けてくださる方が、種芋をゆずってくださった。リユースの段ボールにちいさなじゃがいもが整然と並べられていて、まるでひとつの造形作品のようだった。
耕してはひとつ、ふたつと最初に植えたちいさな畝は、草取りや、土寄せの甲斐もあって、これまでになくよくできた。 一株から700g以上のじゃがいもがとれたのはもしかしたらはじめてかもしれない。これまでの完全放置方式だと300gくらいしかとれなかったので、うれしい(一般的な収量は1kgくらいらしい)。 土の中から赤いじゃがいもがつぎつぎと顔を出す様子は、何度やっても心躍る。土の中に眠っている宝を掘り当てる気分。
一方、4月に入ってから「いい加減遅すぎるだろう」と植え付けたものも試しに掘ってみたら、予想通りまだ小さい。梅雨明けまでおいてみようと思うが、そんな時期でも大丈夫なのだろうか?とちょっとしらべてみたら、気温が上がりすぎて芽が出る前に掘ればよさそう。こんな基本的なことすら頭に入っておらず、毎年そのときどきで畑の先輩に聞いたり、調べたり。そしてまたすぐに忘れてしまうので、翌年ふたたび同じことを聞いても新鮮な驚きと発見がある。
とにかく宝のじゃがいもが収穫できた。10キロあったらうれしいけれど、3キロでもよろこびはほとんど変わらない。そして、今年の秋こそは早めに準備を、と大量収穫を夢見て意欲的な気分になる。人が見れば、ワイルドな草ぼうぼうな土地が広がるなか、ぽつぽつと作物が植わっていて、しかも肥料不足のひょろひょろに見えるかもわからないが、わたしにとっては、自由な楽園そのもの。ちいさくたって、すくなくたって、一向にかまわない。畑をながめると、そのとりとめのなさや、計画やコントロールとはまるで無縁な感じが自分らしい。そして野菜はちいさくて、エネルギッシュで、すばらしくおいしい。(野菜をつくっているひとは、みんな自分の野菜が「いちばんおいしい」と感じるのではないかと思う。手前味噌と同じ?)
収穫したじゃがいもは、大事にとっておいて、落ち着いて料理ができるときにおもむろに取り出す。包丁をいれたその瞬間、きもちがぴったりと通じ合うような気がする。扱いもおのずと丁寧になる。
大切なものはできるかぎりシンプルに、と思う。これは調理方法のこと。じゃがいもを一口大に切って、鍋に並べて、ちょっと塩を振って水をすこしいれて蒸し焼きにする。上からオリーブオイルと塩をすこしふる。つぶした黒胡椒はふらずに添える。暖かいうちにテーブルに運び、めいめいが白いお皿の上にのせ、まずはそのままたべて、それからフォークの背でつぶしてオイルや塩をなじませながら、ときどき胡椒をふって食べる。お皿の中には畑がひろがっている。