おみやげは太刀魚

 山のふもとに暮らしていると、外出が大ごとになるので、よほどのことがないかぎり出かけない。

 今週はめずらしく3日も予定が入っていた 。にぎやかしい子どもたちを夫に託して、合気道や座禅、古武術身体運用法など心おどる楽しいことばかり(どれも初心者)。快く送り出してもらって有難いことこの上ないが、さすがに気が咎めてきて、最終日にはおみやげを買って帰ることにした。

 おみやげとはいっても、それほど特別なものではない。パンとか、魚とか、いわゆる「食材」が多い。

 その日は魚屋に立ち寄ると、きらきらとひかる太刀魚(タチウオ)がつめたい氷の上に並べられていた。いちばん大きいものでも1500円ほど(高知は魚天国。新鮮、美味、かつ安い)。迷わず一匹を選んだ。

 おみやげがあるよ、と伝える瞬間には、なにかしら特別なものがあると思う。たとえくだものひとつだって、「おみやげ」と名づけられただけでちいさな魔法がかかる。

 魚をさばく前に、山になった食器を洗い終え、流しをきれいにして、出刃包丁を研ぐ。ここまで30分。スタートまでに時間がかかるのが魚さばきが大ごとになる理由のひとつ。太刀魚は長すぎて作業台にのらないので、流しに置いて巻き尺で計ったらなんと90センチ!

 頭を落としてから3枚におろす 。太刀魚は血や内臓が少ないので、魚の匂いが苦手な私にとって、わりあい気が楽な魚。うろこもないので捌きやすい。

 中骨には身がついているので、すぐにオリーブオイルで焼いてフライパンごとテーブルに。つづいてお刺身をしっかり冷やしたお皿に並べる。最後に揚げたての天ぷらに塩を振って。

 夕ごはんにはまだ早い時間だけど、次々と作ってはテーブルに運ぶ。大人はおもむろにお酒を出してたのしむ。

 みんながお腹いっぱい食べて、それでもまだ残ったら、衣をつけて揚げて、南蛮漬けにしよう、と柑橘を絞ったビールを飲みながら思う。梅雨に入ってからもう何度も南蛮漬けを作った。ほとんどとりつかれているといっていいくらいの頻度だ。

 今回の南蛮漬けの野菜は赤玉ねぎと茗荷。鍋にらっきょうの漬け酢と酢、柿酢、梅酢に砂糖を加えてひと煮立ちさせてから火を止め、赤玉ねぎと茗荷の薄切りを鍋に投入して冷やしておく。赤玉ねぎが鮮やかに発色して、なかなか明けぬ梅雨のうっとうしさを一瞬忘れさせてくれる。

 さばいて、料理して、食べて、と魚一匹で数時間楽しめる。わたしはほとんど口にしないが(さばくときの匂いが記憶に残ってしまう)、家族にとっては外食に近い楽しさがあるようだ。

 太刀魚は夏が旬。白身はふっくらとしていて上品。生でも、焼いても、揚げてもよくて、料理の仕方で、おいしさが万華鏡のように変化する。

 90センチの太刀魚からはたっぷり身が取れるつもり満々でいたが、そもそもが身の薄い魚、思ったほど量がなく、意気込んでいた南蛮漬けにはたどり着かなかった。

 魚をさばくときはいつだって全力投球、気が付けばご飯すら炊けていないこともしばしば。この夜は幸い残りご飯があったので、ぬか床に底に眠っていた古漬けを刻んで「かくや」をこしらえ、出汁茶漬けにしてお腹におさめたのだった。