朝ごはん

 朝ごはんは、起きてから4時間後くらいがちょうどよいことに最近気づいた。

 起きたらご飯を炊いて、お味噌汁をつくり、ぬか床からぬか漬けを出して、ごく簡単な朝ごはんを用意する。

 とはいえ最近は起きたらすでにこどもたちが登校した後、ということもよくある。睡眠はなにより大事なので(精神状態に大きく影響する)、早起きや朝ごはんづくりよりも優先すべき事項。

 鍋でごはんを炊くくらいだったらこどもでもできるし、冷蔵庫には納豆だってあるので、前日にお米をひたしておきさえすればよい。

 朝ごはんは、ひと仕事が終わって、すっかりお腹がすいてから食べる。だいたい10時から11時頃。それまでは、牛乳入りのあたたかい紅茶を飲んだり、グラスに自家製のシロップと梅酢をすこしだけ入れた「うすい味付きの水」を飲んだりする。

 幼少期から水分をとることが苦手で、一日一杯の水やお茶を飲むことすらない日が多かったが、数年前、夏に熱中症気味になってようやく水分が大事ということに気づいた。

 こまごまとした家事や書き物をしているとあっという間に時間はすぎる。あ、おなかがすいたな、と思ってから食べる朝ごはんはどんなものでも完璧においしい。
 たくさん食べると疲れたり眠くなったりするので、できれば少な目に。その後の体感と仕事の能率が驚くほど違う。

 今日は理想の朝ごはんだった。寝坊したので、だれかが炊いてくれた玄米(たぶん夫)、とお味噌汁がすでにでき上がっていた。
 
 お味噌をあたためなおし、冷めた玄米を器によそい、冷蔵庫から瓶詰をあれこれ出して、ごはんの上にのせる。

 北の果てに住む友から送られてきた行者にんにくの醤油漬けは、しみいるようなおいしさとパワー。ぬか漬けと梅干しはからだがすっきりとするし、らっきょう漬けとみょうがの甘酢漬けは、この季節ならではの味。それぞれに作られた時間が込められていて、わたしにとってはこの上ない贅沢なおかずだ。

 ごはんの上にのせる理由は、常備際からこぼれるわずかな液体を受け止めるため、それから洗い物が増えないように。食べ物も、洗い物も、朝はできるだけシンプルにすることが、充実した一日につながるとの実感がある。

 充実した一日、とはいっても家事や仕事が効率的にはかどることばかりではない。むしろ「ささやかなこと」の積み重なりに充実感を感じる。

お礼の電話のつもりがつい長くなってしまったり、突然訪れた人と玄関先でおしゃべりしたり、ネットであたらしい考え方にを見つけたり、図書館で借りてきた本を、「本当は掃除しないといけないんだけど…」と思いながら読んでしまったり、思い立って延々と野菜をきざんでスープをつくったりすることで、およそ効率とはかけ離れている。

 働き者には心底憧れているが、どうやら自分の体質は別の方向を向いているらしい。そう気づいてからは、とにかく気持ちよく、やりたいことを、できるだけやりたいときにしようと思った。

 時折頭をもたげる「なまけている」とか「やるべきことを後回しにして」という罪悪感にはお引き取りいただくことにして、周囲とのバランスも考えながら(これがけっこうむずかしい)、これといった成果がなにもなかったとしても、「今日もいい日だった」と一日の終わりに思えるように。

もちろん最低限のラインは守りつつ、それでも尺度は自分でつくり、その都度調整してゆくイメージで。

 簡素な朝ごはんを食べて、気分よくその日が過ごせたなら、いったいそれ以上なにを望むのだろうか。そうあらためて思った朝は、雨降りでもすがすがしいのだった。