小包の心得

 小包は、ひらいた瞬間が勝負だと思っている。何が入っているか、というよりも、ひらいたときにどんな気持ちになるか、ということのほうがずっと大事だと感じることさえある。仕事とも趣味ともつかぬ小包発送をはじめてから6年。小包は一度として同じものはなく(同じものを送ったとしても)、そして毎回学びにあふれている。

 お菓子が入っているだろう、と開いた瞬間に思いがけない香りがたちのぼったらなら。そう想像するだけで胸が高鳴る。だから香りのよいものを見つけると「これは小包に」と反射的に思う。1月の蝋梅は最高峰。黄色く地味な花がはなつ高貴かつ幻想的な香りは冬のくっきりとした寒さのなかでいっそう際立つ。直売で見かけたらすかさず求めるもののひとつ。初夏であれば、家のまわりで摘んだハーブの花束。レモンバーベナ、ローズゼラニウム、ミント。毎年同じ場所に勢いよく育つのがありがたい。剪定した月桂樹の枝をいただいたら、壁に立てかけておき、小包をつくるごとに一枝を切っておさめる。もちろん葉はそのまま料理に使える。秋が深まってきた頃には柚子をいくつか。視覚的にはひとつ入れるのがベストだが、料理につかうかお風呂にいれるか迷ってしまいそうなので、いくつか入れる。 

 そして緩衝材。気泡緩衝材(プチプチ)は我が家に届いたものをもったいないからとためておき、瓶を送るときに再利用していたが、見た目も触感がよくない。ちょっと使っただけでも全体の雰囲気がぐっと落ちるような気がしてからは使うのをやめた。割れるおそれのあるものを送るときは、段ボールを切って瓶に巻き、新聞紙をくしゃくしゃにして段ボールの底に敷いたものの上に置き、またくしゃくしゃの新聞紙を置く。何十件もそのようにしたが、これまで割れたという報告があったことはない。

 緩衝材はとにかく新聞が基本。新聞を採っていないので、ご近所の方にもらったり、年上の知人を訪ねた時に譲ってもらったりする(同世代は新聞を取っていないことが多い)。一度新聞の営業所できっちりと束ねられた数日前の新聞を一束もらったことがあったが、全部同じ日付なので、新聞をめくるたびに同じ見出し、同じ写真が繰り返されるのにすっかり疲れてしまった。新聞は、やはり個人宅から譲っていただくに限る。

 小包を詰めながら新聞をめくると、しばしば興味深い記事が目に入る。すこし余裕のあるときはつい読んでしまってちっとも作業が進まない。急いでいるときは、横によけておいてあとでまとめてゆっくり読む(最高の時間)。こういった「面白い記事」は貴重なので、小包にさいご「ふた」するときにのせるのが好き。ひらいた瞬間におもしろい記事が目に飛び込んできて、つい読んでしまい、読み終わってから、あ、そういえば小包、と思い出す、という仕掛け。逆に、あまりうれしくない記事はできるだけ目に入らないように気を付ける。

 かつてある方にジャムを送ったところ「ジャムの瓶の蓋の色がかわったのですね、黒はスタイリッシュかもしれませんが、以前のシルバーのほうが好きです」との感想をもらい、はっとしたから。そのとき頭に浮かんだのは、たしかデンマークだっただろうか、緑の中にあるうつくしい葬儀場の建築の話だった。「親しい人を亡くした時は、普段は気づかないくらいのちいさなことつらいと感じるものなので、できるだけ視覚的な工夫をする。角はつくらずに、曲線にするようにつとめる」、うろおぼえだが、だいたいそんな内容だったと思う。その時はいたく感心しながらも、当然ながら実感を伴わず「なるほど、礼拝堂の椅子の角さえもつらいときがあるのだ」と思っただけだったが、「ジャムの瓶の蓋が黒」であることと重なるような気がした。その方はちょうど、ご家族を亡くされたばかりだったのだ。そういえば、精神的に落ち込んでいる時に、通りがかった花屋で真っ赤なダリアのを目にした時、「つよすぎる」と目をそらしたことを思いだした。

 こう書き連ねるといかにも細心の注意を払っているように見えるかもしれないが、もともとが行き届かないことが多いたちなので(間違いも自分でうんざりするほど多い)、「気づいたところはせめてもの」というぐらいの気持ちで、むしろ必要以上に「マイナスを生まない」方向性に引っ張られないようにしようと思っている。

  夏は花も、草も、香りのあるものがすくないようだが、気温が上がるほど、雨がふるほどに勢いを増すのがレモングラス。先日抱えるほどたくさん分けていただいたので、レターの上に封がわりにのせた。1メートル以上もあるレモングラスをさてどうやって、と最初は戸惑ったが、思い切ってちょうどよい長さに折りまげて片側からくるくると巻き付けると、まずまずの形に収まった。あまりにつたなく、もうちょっとどうにかならないか、と感じて続けていたところ、3年目にして「!」という方法を思いついた。思いついた、というより手が勝手に動いたのだった。最後のひとまきをすこし浮かせてそのしたにはしっこをくぐらせてひっぱると、きっちりとすがすがしくまとまる。

 結び方、折り方、などは常から在来土着宗教(造語です。そんなジャンルがあるだろうか?むかしからある祠とか、神さまは山や滝とか、お供えや飾りは実の回りから調達する、とかそういうアジアっぽくてプリミティブな感じ。アニミズムといったらいいかもしれないがなんとなくしっくりこない)や神社の雰囲気をお手本にという傾向が強かったのだが、それに、ほんのすこし、ごくわずか、近づけたような気がして、それはあるいはたいへんな勘違いなのかもわからないが、とにかく「わあ!」と声を上げるくらいにうれしかったのだった。