8月の畑

 夏だから当然だが、毎日暑い。高温多湿の高知では、畑の植物は植えた野菜も雑草も、ぐんぐん育つ。「草刈りをしなければ」と思うと、「暑いから」とか「この間やったばかりだから」となんとなく足が遠のくけれど、「ほんの10分だけ、畑の様子を眺めに行こう」と思うと気持ちがぱっとひらけて、足取りも軽くなる。

 作業はしなくていい、と自分に言い聞かせながら、「それでもやりたくなったときのために」と大きな竹かごにに鎌と鋏、麻ひも、それから収穫用のざるを入れて片手に持つ。もう片方の手には、生ごみの入ったバケツを持つ。帽子をかぶって手ぬぐいを首にかけ、水筒を用意するのも忘れずに。

 畑に行ったらまず、あちこち歩きまわってぶらぶらする。昨日手を入れた場所どんな様子か確認する。そうしているうちに、いろいろやりたい気持ちがわきあがってくる。生姜のまわりに生い茂った雑草を刈って、土寄せする。少しづつ準備をしている玉ねぎ用の場所をほんの少しだけ耕して運んできた生ごみを埋め、枯草で覆う。これはしばらくしたら肥料になる。それから知らない間に大きくなっていたきゅうりを一本をもぐ。そのとなりのにらのまわりの雑草も丁寧に取り除く。

 草刈りをしていると顔から汗がぽたぽたとしたたり落ちる。不思議と不快ではなく、むしろ気持ちがいい。夏の暑さに溶けてゆき、土と自分の境目がうすれてゆく。このまま汗を流しながら、えんえんと草刈りをしたい気分が高まってくる。が、その瞬間を逃さずに、日陰で休憩する。とにかく根を詰めないこと、やりすぎないこと、それだけに気を付けて、あとはどこまでも自由に。

 家の裏、石垣の上にある畑は1反(およそ1000㎡)弱ほどで、耕してあるのはその3分の1。つまり、ほとんどが雑草地帯なので、草刈りが欠かせない。駐車場や石垣、家の裏もあわせると、かなりの広範囲になるのでガソリン式の刈払機(草刈り機)は必須。今年機械を新調したら、すこぶる調子がよいので、意気揚々と草刈りをする日々。

 機械は効率がものすごく良いので、畑でも使うが、できることなら手鎌で刈りたい。機械を使うと、いろいろなものを気づかずに刈り飛ばしてしまうから。植えたのをすっかりわすれた生姜や、こぼれ種からでたはぶ茶の丸い芽。四方八方に伸びたかぼちゃのつるにを守るには、やはり自分の手を使うしかない。

 それが不便かといえば、ぜんぜんそんなことはない。「あ、こんなところに!」「そういえばここに植えたんだった!」と宝探しのような気分になる。昼に近づくにつれ、陽射しはますます強くなり、体はどんどん熱くなる。「休憩も、水分とるのも、仕事ののひとつ」と自分に言い聞かせながら、手を止めて、日陰に向かう。

 石垣の上から鬱蒼と伸びている木陰は涼しく、背後に積まれた石垣はひんやりとしている。ころがっていたビールケースをひっくりかえした上に腰かけ、帽子を取る。水筒の水を飲みながら畑を眺める。あいかわらず草ぼうぼうで、一見したところ作業の成果はまったく見られないが、 そんなことは一向に構わない。 どこでどんなふうな気持ちで手を動かしたか、自分はぜんぶ知っているから。

 風が吹いて、木の葉がすれる音がする。汗と風がまじりあうところに、幸福が通りすぎてゆく。