魚をさばく

 我が家から車で30分、隣町にちょっと変わった魚屋さんがある。取り扱っているのは主に一匹まるごとの中型魚。まぐろやサーモン、かつおのたたきもあるけれど、どれもかなり大きい。かますのような小さな魚は、一袋に1ダースほど入っている。あじ一匹とか切り身2枚、お刺身一人前、という買い方はできない。魚はすべて発泡スチロールの箱に氷とともに収められていて、客は勝手にふたを開けて中を見る。価格はキロ単位。計ってもらってはじめて金額がわかる。

 先日はうつくしいウメイロを買った。高級魚の部類にはいるのでこれまでなかなか手がでなかったが、その日は「今日はウメイロが買い得!」との店主の一声と、青くきらめく体色が決め手となった。

 実は、最近まであじ一匹さばけなかった。やりかたもわからないし、魚をさばくときに手に残る匂いが苦手だった。それがどうして頻繁に魚をさばくようになったかといえば、特別支援学校に通う息子が大の魚好きで(愛読書は魚図鑑)、大きな魚をを一匹持ち帰りたいと熱望したから。それともうひとつ、高知は魚大国、新鮮な魚が驚くほど手ごろな価格で手に入る。釣り人口も多く、知り合いから新鮮な魚をいただくこともある。この土地に住んで魚がさばけないのはあまりにもったいない。

 こんな状況の中、わたしの魚ライフははじまった。知り合いに「すごくおすすめ」と教えてもらったくだんの魚屋さんは、頼めばその場でさばいてくれるのだが、「絶対家でさばく」と言い張る息子。最初の数回は、他のお客さんが注文した魚が次々とさばかれてゆく様子を凝視して、分からないことは質問した。そんなことを幾度か繰り返しながら、頑丈なウロコとりや、太い骨を切るためののこぎりも買った。

 1メートルのシイラや、大きなマグロの頭、ひらめ(5枚おろしにする)とぬるぬるとすべる大きなあんこう(息子の誕生日のリクエスト)、かつおは一匹買って、見よう見まねで藁で焼いてたたきに。最初の数か月は、毎週日曜日ごとにあたらしい魚に挑戦した。

1メートルのシイラ(雄)

 魚を買った日は、まずしっかりと包丁を研ぐ。匂いが記憶に残るので常にマスク着用で、できあがったものは味見程度。翌日になら食べられるのだがたいてい残らない。それでも大きな魚を手中に収めた充実感と家族の喜ぶ姿を見ると、やっぱりやってよかった、と毎回おもう。

 今回のウメイロは45センチほど。3枚におろして、皮を引いてカルパッチョに。 透明感のある、弾力のある身がすばらしい。しっかり冷やしたお皿ににんにくをこすりつけ、オリーブオイルをうすくしいた上に薄く切った魚を並べる。さらにオリーブオイルを回しかけ、塩、石鉢ですりつぶした胡椒、そして醤油をすこし振る。最近気に入っているのが友人から贈られた山葵オイル。ほんの数滴で鮮烈な風味が加わる。

シンプルだけどいちばんおいしい食べ方

 背骨の部分やお刺身にするときに切り取った部分にも身がついているので、オリーブオイルでさっと焼いて、あればレモンを絞って熱いうちに食べる。そんな風にすると、余る部分は頭と内蔵と、きれいに残った骨だけとわずか。

  朝からの買い出し、包丁研ぎ、流しをきれいに洗って調える。3枚におろす前に、息子が長さを計り、口をあけたりエラの状態を見たりと念入りに研究する。その後、温まらぬようにできるだけ素早くさばき、時をおかずにつぎつぎと料理する。すべて終わった頃には一日のエネルギーをほとんど使ってしまったような感覚になり、わたしは食卓について、ワインや日本酒を飲みながらにぎやかな食事風景をぼうっと眺める。

 魚屋の店先で豪快に藁を燃やしてたたきを作っているのを目にすると、「たまには切るだけのたたきを食べたいなあ」と思う(高知のたたきはすばらしくおいしい)。しかしとなりにいる息子は「一匹まるごとを買おうよ!」と譲らない。こだわりが強く、困ったな、と感じることも多いのだが、彼こそがわたしの魚ワールドへの案内人だったことを思い出す。ヒラメのさばき方も、シイラの雄と雌の見分け方も、なにもかも知らなかった2年前といまを比べ、世界はたしかに鮮やかさを増しているのだった。