2020/6/17
5月の下旬になると、枇杷(びわ)が色づき始める。ここから3週間ほどが、枇杷が満ちる季節。昔からびわ狩りが好きだった。箱いっぱいに採り、大きなお皿に山盛りにして、おなか一杯になるまで食べるときの満ち足りた感じ。枇杷は、加工には向かず(あのうす甘い味はどうやっても首をかしげるような仕上がりになる)、傷みもはやい。慌ててその日のうちにあちらこちらにお届けするのもスリリング。
枇杷は味もサイズも育つ場所も多様。あたたかい場所、ひんやりとした山の上、大きいのも、ちいさいのも。年によってなる量も異なる。共通しているのは、 どれも売るためのものではないということ。
野生の枇杷、庭の枇杷、畑のすみの枇杷、 毎年あちこちの枇杷を食べる。立派なものが一番良いのでもなく、甘みだけがおいしさの規準でもない。 色も、形も、味わいもそれぞれ。その主張の薄さや、栽培したというよりも「勝手になった」感が強い枇杷がどうにも好ましく思えて、この季節は、朝も昼も晩も手元にある限り最後まで盛大に食べる。とりわけ畑仕事や草刈りで汗をかいた後の枇杷にはその瞬間にしか感じられない、にじむような、寄り添うようなみずみずしさがある。
わたしたちの住まう地域には幅40メートルほどの大きな川がある。その川べりに育つ原種に近いびわは、味がすばらしいのだがいかんせん小さい。親指の先よりひとまわり大きい程度で、種を除くと可食部分はごくわずか。わが家の駐車場の枇杷の大木も、石垣から生えていて、おそらく種から発芽したのだろう。やはり実は小さく、味は濃い。
苗木屋さんで買って植えたびわの木は、大きな実がつくらしい。味はさまざまで、品種というより、育つ環境によるのかもしれない。小川沿いのびわの木を持つ方は「水に近いからおいしくない。こんなものは食べない」とおっしゃる。確かに味はやや薄く、最高とは言えないかもしれないが、実は立派で、十分においしい。枇杷の皮をむきながらそう伝えると「こんなものを食べるなんて。都会のひとはわからないねえ」と笑いながらすいすいと高いところの枇杷を採ってくださるのだった。
そんなわけで、シーズンの終わりに近づくと、「今年のびわとの出会い」を思い返す。一番最初の枇杷、川べりで採った枇杷、友人宅で採らせてもらった枇杷、籠にこんもりと盛られて届けられた枇杷。 どんな枇杷もそれぞれにおいしい。とはいえ、今年橋のたもとで採ったものだけは食べ続けられる味ではなく、すこし迷って、ごめんなさい、と思いながら土にかえした。けれど、そのおいしくない枇杷との時間はやはり特別だった。その味、その時間、ぜんぶまるごとが枇杷ワールドなのだ。
枇杷については、ひとつだけミッションがある。「くだもののなかでいちばん枇杷がすき」という友人に送ること。
色づき始めたらすぐにでも送りたいのに、今年は不作で、我が家の枇杷の木にはひとつもならず、川べりのようすも芳しくない。1週間が過ぎ、10日がすぎて徐々に焦りの気持ちが生まれてきた頃、川べりに大きな実がぽつぽつとついた木を見つけた。数日観察して、ちょうどよく色づいたところで、高枝切りばさみをとかごをもって採りにゆく。落とさぬよう気を付けて幾枝かを切り、ひとつ味見したところ「おいしい!」。大きくて、おいしい野生の枇杷。すぐに送らなければ。
枇杷は傷みやすいので、すぐに箱につめて宅急便で送る。緩衝材は新聞紙。衝撃を受けると傷がつき、そこからまたたくまに傷んでゆくので、箱に「ワレモノ」のシールと「卵」のシールをつける(「卵」くらいに気を付けてとり扱ってほしい)。
日本の宅急便システムは驚異的だと思う。四国から関東まで、1日で届けてくれるのだから。小包がなくなったなどという話は聞いたことがない。その確実さとスピード、日本人特有の勤勉さに毎回感嘆する。同時に、夜中に高速道路を走り続けるトラックの運転手さんや、仕分けする人、ドライバーさんにどれだけの負荷がかかっているだろうと心配にも思う。早く運んであたりまえ、破損なく届けてあたりまえ、そして時間指定のプレッシャーはいかばかりか。
それに加えて、環境への負荷を減らす取り組みが待ったなしで求められるこの時代、輸送にかかるエネルギーについては、常に葛藤がつきまとう。その意味で小包の発送は、「いま、あのひとに、どうしても届けたい」という気持ちがあるときに限って、と思っている。環境問題は 極端すぎても息苦しいし、まったく考えないのも問題で、 つまるところ、大事なのはバランス感覚なのだと思う。
我が家の仕事のひとつに発送もあり、宅急便にはずっとお世話になっている。中身がお菓子のことが多いので、丁寧に扱ってもらうこと、指定時間に届けてもらうことは、外せない。発送側としてできることは、必要以上にクール便を使わないことくらいだろうか。
一方受け取り手としてはできることはいくつかありそう。留守の時は玄関横のデッキに置いておいてください、とお願いしている。また、 我が家の直前の坂道は長く、とても狭い。いつもバックで大変そうなので、 荷物の到着がわかっている日に近所で宅配トラックを前方に確認したら、すれ違う前に手をぶんぶん振って、「服部ですー!荷物ありますか?」と窓から声をかける。その場で受け取れば所要時間数十秒。これはたまたまタイミングが合ったときの瞬発力が決め手なのでうまく行くとなんだかうれしい。そして、このあたりでは一人のドライバーの担当範囲がおそろしく広いので、集荷は量の多い時、忙しい時にとどめて、できるだけ郵便局に持ち込む。どれもごくささやかなことだが、少しでも負担が減りますように、と思う。
思い立って小包を送るとき、翌日に届くなんて(北や南の果てでも翌々日)なんてありがたいことだろう、と思う。こうして、たくさんの人の手を経て、枇杷のつまった小包はしずかな佇まいの友のもとへと届けられるのだ。枇杷の季節も終わりに近づきつつある。