あたらしい時代へ

 前回の更新から随分時間がたってしまいました。インド日記はまだ続くのですが、ひとまずわきに置いておいて、日々の暮らしに一旦戻りたいと思います。

 二月のおわりから、コロナ問題が大きく報道されるようになり、こどもたちの通う学校は休校になったまま春休みに入りました。さてこの問題に対してどう振る舞ったらよいものか、自分たちなりに情報を収集して、社会の流れも見据えつつ、わたしたち個人としての立ち位置、視点を定めるのにおよそ一カ月ほどかかったように思います。日々の生活のあれこれに加えて、確定申告の締め切り、さらにこんなタイミングでコンピューターとネットワークの不具合が追い打ちをかけるように重なり、ブログを含めた仕事はほぼストップ。ようやく新学期になったと思ったら、わずか数日で先の見えぬ休校が決まりました。週に一度のカフェはしばらく休むことにして、こんな状況の中でもなんとかバランスをとりながら生活と仕事をすすめてゆきたいと思っています。

  まだまだ難しい状況がつづくなか、それでもひとつ気持ちが定まったように感じられる今、思うのは「生きるということは、そもそも何の保証もなく不安定なのだ」ということ。生まれた時から文明の恩恵を当然のように浴びながら育ってきたからか、環境問題や、核の問題、貧困や差別、そのほか世界にあふれているありとあらゆる問題について、頭では理解はしているつもりでしたが、やはり実感は薄かったように思います。そして今回のコロナ問題。実際にウィルスは存在するし、感染もするし、人もたくさん亡くなっている。それは大きなできごとで、それぞれが自分の置かれた立場と状況、価値観のなかで、できる限りのことをするよりほかない。そのうえでやはり思うのは、「不安」や「恐怖」はひとりひとりの意識の中で、何かを投影するように生まれているのではないか、ということです。

  そんなことを思いながら、ある晴れた日の朝、ふと思い立って裏の藪に分け入ってみました。高く育った茅を掻き分け、棘の無数につく野いばらをくぐり、またぎ、そして道をふさがれて、ついには先に進むことをあきらめたのでした。すごすごと元来た方向にもどったときに感じたのは、「身一つでは家の裏30メートル先の藪の中すら思うように進めない」という圧倒的な敗北感。とはいえ、草木はただ何の意図もなく存在しているだけで、私の進路を阻もうと意図しているわけではないのです。のこぎりかなたがあれば、あるいは剪定ばさみひとつがあれば先に進めたかもしれない。しかし、この傷つきやすいからだひとつのなんと無力なことか。

  同じ日の午後、山の奥にある知人の土地へと向かいました。「文旦と小夏の木があるから見に行ってきて」と言われ、車を奥地へと走らせ、道の脇に止めて、さらに人気のないあぜ道を記憶をたよりにすすみます。迷いながらようやくたどり着いた土地はすっかり草で覆われ、竹が倒れてゆく手をふさいでいました。竹をまたぎ、奥へと進むと木にちいさな文旦の実が数個、たよりなげにぶらさがっていました。光が半分ほどさえぎられたひんやりとした地面には、シャガの花が一面に咲いています。群生するうすむらさきの花は、湧くようなエネルギーに満ちつつも、静かな迫力をたたえていました。そうとは知らずに人の手の及ばない世界へ踏み入ってしまったように思えて、ただ息をひそめてその地面に座り込み、花々の濃い気配に取り囲まれながら、食べごろをすっかり過ぎた、ちいさな文旦の分厚い皮を剥いて食べたのでした。

 なんの根拠も確証があるわけでもないのですが、この一連の出来事は、あるいはどこかでつながっていて、わたしたちを思いもかけないあたらしい世界に向かわせてくれているように思ったのでした。