2020/7/3
なんでも軽いもの、かろやかなものがいいと思っている。器でも、洋服でも、食べものでも、生き方も。ものだけではなく、イメージや行動も。
器だったら木の素材がいちばん軽い。大きなものでも片手で運べる。さわったときにあたたかな感じがするのも心やすいし、漆のお椀は冷めずに口あたりもよい。竹ざるは軽くて道具の最高傑作。料理のときにも、野菜入れとしても、パンを買う時にも持って行って、「袋はいりません」と自分で竹ざるに直接入れてもらい、上に布をふわりとかける。
洋服だったら木綿か麻。洗濯機で洗えるのもかろやかさに通じる。どの季節でも着ることができるという汎用性も。薄くて大きなストールの干しあがったばかりをまきつけるときの自由さは、幸せのたしかな形。
食べ物だったら、かろやかさは透明感と言い換えよう。素材の新鮮さと育てるひとのすこやかさ、料理人の集中力と丁寧さは、すべて透明感に行き着く。サンドイッチをさっとつくって食べるのも、昨日つくったスープの残りを翌朝あたためて食べるのもいい。それから食べた後にからだが軽いこと。かつて入ったモツ料理の店ではおどろくべきことに、そのイメージとはうらはらにすべてがかろやかだった。
生き方をかろやかに、とはたぶん、とらわれないこと。その都度考え、決めて、行動すること。計画は具体的というよりも、むしろざっくりとした大きなイメージで。変化を必然として受け入れて、流れに乗って楽しむこと。重い感情は、ほんとうに必要かどうかよく考えて、できれば手放したい。
体験のもっともすばらしい点のひとつは、物理的な重さがないこと。保存しておくスペースも、管理も不要。すべてその瞬間に体が記憶する(意識では忘れてしまったとしても)。だから音楽を聴いて、映画を観て、本を読んで、ひとと会って、旅をする。
やや重い内容の話もできるだけかろやかに。この場合のかろやかさは、誠実さと希望。
ふるいガラスのうすさとゆらぎ、そして手折られた数本の野の花。
かろやかな場所は、すがすがしい場所。ひろびろとした気持ちになって、まっさらな自分にもどれる場所。たとえば、滝や、森の中。夏には 水のきれいな川に飛び込むこと、そして神社。街中だったら、場がいつも整っていて、安定感ある店主のいるカフェ。
そして、お風呂にゆっくりとつかって、睡眠時間をたっぷりとること。かろやかな明日をむかえるために。