たまご

 たまごは万能。パンにも合うし、ごはんのおかずにも、お菓子作りにも使える。日持ちがするのもいい。色もかたちも、なにもかもが幸福感に満ちている。

 すこし前までにわとりを飼っていた。にわとりとの生活はすばらしい。春から秋までたまごを産んでくれるのはもちろんのこと、台所から出るやさいくずはそのままえさになる。雑草も食べてくれて、鶏糞は肥料になる。完全循環とはこのことか、と腑に落ちた。

 困ったのは発芽したばかりの野菜の芽を食べしまうのと獣対策。結果、度重なる苦心の対策も及ばず、なにものかに食べられてしまった。にわとりはまたぜひ飼いたいけれど、あたらしい小屋ができるまで、しばらく休憩。

 それでもたまごは食べたい。できれば健康的なものを食べてのびのびと育っているにわとりのたまごを。パックに入っていなければなおいい。あのプラスチックパックをスーパーの回収ボックスにもってゆくたびに重い気持ちになっていた。箱持参で生産者さんから直接買えたらいいのに…

  ある日のこと、知り合いの有機農家さんのたまごが近所の直売に売っていた。そういえば、にわとりを自家用に飼っていていると聞いたことがある。お子さんもお孫さんもたくさんおられるので、いくらあっても困らないのだろう。

 えさはご自身が栽培されている野菜と自作の発酵飼料。一度にわとり小屋をみせてもらったことがあるが、のびのびとした空間で鶏糞の匂いもほとんどしなかった。そんな夢のようなたまごが販売されている!もしかしたら、ケースなしでゆずってくれるかもしれない、とお願いしたところ「こちらもそんな風に買ってもらえたらうれしい」と言ってくださり、飛び上がって喜んだ。

 最初に届いたときに、わあ、となったのは、紙箱の中におがくずが敷き詰められた上にたまごが並べられていたから。パートナーが大工さんなので、おがくずはたくさんあるという。なるほど、身近な素材を再利用!

 きれいにならんだたまごが50個、壮観だった。大切に食べて、すっかりなくなったらしばらく待ってから電話で連絡をする。すぐに連絡をしないのは、「たまごのない期間」をつくるため。 

 「あれをつくりたいのにたまごがないんだよねー」「えっ、たまごないの!?」「お菓子作りたいんだけど、たまごある?」。卵がなくなると、こんな会話が我が家では繰り広げられる。たまごがないことが全員に周知されて、たまごなしの生活に慣れたころに卵が到着する。

 にわとりの産卵状況と他のお客さんの注文次第なので、卵はいつ届くかわからない。が、むしろその方がずっとたのしいので「いつでもいいです」とお伝えしている。

 ある日突然届いた50個のたまごを見た時の心躍る気持ちといったら!たまごは常に常備すべきか?否、たまごの価値を最大限に上げるには、「たまごのない期間」がどうしても必要なのだ。

 まずはたまごかけご飯にする。こどもたちにとっては大ごちそう。ひとりひとつ、箱から好きな卵を選ぶ。色や大きさも全部違う。

ずらりと並んだたまごを目の前に、これがあればなんだって作れる、という万能感が湧きあがる。ねぎとたまごのチャーハン、塩味の卵焼きをレタスと一緒にパンにはさんだサンドイッチ(マヨネーズ+ケチャップ)、お弁当にはうす甘い卵焼き。ごはんの上にキムチと半熟目玉焼きをのせてごま油と醤油をたらす。

ゆずっていただいているたまごは、おそらく普通に売られているものの数倍の価格だが(50個で2500円、1個あたり50円)、当然ながらそれ以上の価値がある。信頼している方から直接手渡してもらえるありがたさ、そしてごみのでない清々しさといったら!

 箱にびっしりと並んだ卵はすこしづつ減ってゆく。最初は奮発して意気揚々とオムライスを作ったりとしていたのが、次第に使う量が減ってくる。最後の10個ほどになると「ああ、もうすこしでおわってしまう」とちょっとしんみりした気持ちになる。最後のひとつは、玉ねぎのお味噌汁に溶きいれて。
 
 にわとり小屋で産みたてのたまごを見つけること、箱にぎっしりと詰められた卵がある日突然届くこと、たまごを5個も使っただし巻き卵をつくる高揚感、その通り過ぎてゆく瞬間は、どこまでもくっきりとした幸福に満ちているのだった。