畑と草刈り

 6月が走り抜けるように終わり、7月に。今年の半分がもう過ぎたとはにわかに信じがたい。高知は高温多湿、雨量が驚くほど多く、気温も湿度も高い。ゴールデンウィークが終わった頃から、もう夏の暑さだった。

  ここから3か月が草刈りのシーズン。4年目にしてようやくガソリン式草刈り機をなんとか使いこなせるようになった。もちろん地域の殿方の華麗な作業姿には遠く及ばない。軽やかな手さばきと安定感120%の足腰、ご年配にもかかわらず、いや、だからこそ、なのか、作業前と後とでまったく変わらぬ悟りの境地の表情。きっとたどりつくことのない憧れの境地。

 広い空き地といっていいくらいの駐車場、家の前後にある高い石垣、家回り、畑、ぐるぐる回りながら、9月の終わりごろまで草刈りは続く。

  畑の草も、日ごと勢いを増してくる。刈っても刈ってもおいつかず、特にこぼれ種から発芽したものを残したいので、その付近は草が刈れず、ただの草ぼうぼうの荒れ地に見える。

荒れ地風の畑。これでも草刈りをしたばかり。

 でも、よく見るといろいろ植わっているんです。去年収穫しそびれた里芋(八ツ頭か海老芋かもしれない)からは葉がどんどん伸びきて、石垣沿いの日陰に生い茂っている。力強く群生しているのは菊芋。種を継いで3年目の落花生はこの間10株ほどを定植した。生姜は保管していた5キロの種生姜をあちらこちらに植え付けたので、今年はたくさん採れそう。ローゼル、きゅうり、なす、オクラ、ゴーヤ、万願寺、なた豆にツルムラサキ。野草茶用のはぶ草と茶林草(岸豆茶)はこぼれ種からたくさん芽が出た。月桃の葉も無事越冬して大きくなりつつある。それから秋の収穫がたのしみなさつまいも。

落花生の苗。収穫は秋。
つるむらさき。葉をツルごとご食べる。夏の間ずっと収穫できる。
ようやく出た生姜の芽。まだひょろひょろとしてる。

 汗だくの畑作業の合い間には、石垣の上から覆いかぶさるように枝を広げた木陰で休憩する。草をきっちり刈った後は、とりわけ気持ちのよい風が吹き抜ける。背後にはひんやりとした石垣。目の前に降り注ぐ強い光線と守られた日陰のコントラスト。

 夏に向けて、早寝して日の出前に起きて畑仕事をすることを熱望しているのに、早めに布団に入っても、つい本を読んでしまう。最近夢中になっているのは、精神科医の神田橋條治の著作集『発想の航跡』(岩崎学術出版社)、特に第二巻後半に書かれた治療に関する考察には、果てしなく真実に迫る凄みととらわれのない鮮烈さがあって、毎晩眠気が吹き飛ぶ。こうやって、本はいつだって時空を超えて、遠くに存在する情熱の人との縁をつないでくれるのだ。