味噌びらき

 味噌が底をつき、さてどうしよう、と困った。お店で買う気にもなれないし(前回買ったのがいまひとつだった)、今年仕込んだ味噌が仕上るのは、早くても冬のはじまり頃になるだろう。

 なにしろ、寒仕込みも花仕込みも逃がし、ようやく5月中旬になってからあわてて麹を作り仕込んだのだった。味噌が仕上がるにはおよそ10か月かかると聞く。5月に仕込んだのであれば、出来上がりは3月、春のはじまり頃になる。あまりに先の話で、「我が家のみそ汁はこの先いったいどうなるのか」と途方に暮れる。

 こうなったらいちかばちか、仕込んでから3か月あまりの味噌をひらいてみることにした。今年の夏はとりわけ暑かった。そのせいで発酵が急激に進み、もしかしたらなんとか食べられるくらいになっているかもしれない、というわずかな希望を託して。

 瓶にかぶせた紙をとり、上のカビを取り除くと、山吹色の味噌が顔を出した。麹の粒が見えるが、もしこれがやわらかくなっていたら大丈夫…と緊張しつつスプーンでほんのすこしすくって味を見るとあ「味噌になってる!」。

 まさか、とにわかには信じ難く、さらなる検証のために、すぐにおみそ汁を作り始める。とはいっても出汁を温めて、畑で摘んだわずかな量のみょうがと花にらを、薬味に近いくらいにこまかに刻み、味噌をすり鉢ですってから溶き入れるだけ。

 湯気の立ち上るおみそ汁をお椀に注ぎ入れ、テーブルに運ぶ時間も惜しくて立ったままひとくち飲む。すこし若くはあるが、十分においしい。花にらと茗荷の香りがあたらしい味噌の風味にもよく合っていて、とたんに晴れやかな気分になる。

 去年仕込んだ味噌が底をついたのは、たしか今年の梅雨のさなかだった。それから夏の間、市販の味噌を使っていたがどうにもしっくりこない。夏の暑さもあいまって、味噌はなかなか減らない。それでもここ数日涼しくなってきたので、みそ汁を作る回数も増え、ついに市販の味噌がなくなったところなのだった。

 自作の味噌は、これから熟成させることによって、さらに味はふかまるだろう。それにしても、仕込んでから3か月半で使える状態になる、というのは大きな発見だった。もちろん、その3か月が暑い夏とぴったり重なっていた、ということが大きい。味噌は発酵食品なのだから、気温が高ければそれだけ発酵も進む。冬の寒さの中ではとても3か月では無理だろう。

 「味噌は寒仕込み」と思い込んでいたが、意外と一年中作れるらしい。味噌づくりに通じているひとから「麹はいちばん夏がつくりやすいから味噌も夏に仕込む」」と聞いて驚いたこともあった。ならばわたしも夏に!と意気込んでいたが、結局、暑すぎて着手できずにまた今年の夏が終わろうとしている。

  当然のことながら、カビの生えにくい真冬に仕込み、夏を越し、一年ほどたったところでできた味噌の深みは格別だろう。けれど、明日の味噌にこと欠く現状では、そんなことは言ってられない。今回開いたのは、かめに入りきらなかった余分を入れた、1ℓほどの小さな保存瓶。大きなかめは、様子を見てからふたたび新聞紙でふたをして、冷暗所に収めた。

 新聞紙をかぶせると、「幸福であれ!ということ以上に語るべきことはないと思われる」という20世紀最大の哲学者、ウィトゲンシュタインのことばが目に飛び込んできた。しわをのばしてじっくり読みながら、味噌づくりと哲学者のことばを重ねてみる。

  今年3回仕込むはずの味噌は、2回で息切れして止まったまま。来年「味噌が足りない!」とあわてることにならないよう、もう一度、麹をかもして味噌仕込み、ややおっくうな気持ちを奮い立たせる。

 今回の収穫はこんな短時間でもおいしい味噌が仕上がると知ったこと。そういえば、去年は4月に仕込んだものを11月に開いてみたのだった(おいしくできていた)。こちらは8か月熟成。

 わたしは、「味噌は寒仕込み、熟成は10か月以上」と10年ものあいだ、自分で確かめもせずに、ただ信じてきたのだった。

 母や祖母が味噌を作っておらず、身近に相談できるひとがいなかった、というのもある。もし母に数十年の経験と蓄積があったらしていたら「夏超えてれば一応食べれる」とすぐに教えてくれたかもしれない。あるいは「うちの味噌があるから送ろうか?」と言ったかもしれない。

 それでも、と思う。なにもわからないところからはじめる喜びは他に代えがたい。探検とまではいかないが、裏山のちいさな茂みを掻き分けながら、進んでゆくのに似ている。山に生きてきたひとならなんでもないことが、私にとってはちいさな冒険でもある。

 「確実」と「大丈夫かもしれない」の間にはさまざまなグラデーションがある。「こうしたほうがいい」と「これでも平気」のあいだにも。その間を、どきどきしながら、時に失敗も含みつつ、手さぐりですすんでゆくことが「じぶんでつくる」醍醐味なのだろう。

 人生だって、同じだ。自分で試してみるよりほかない。今回のことから与えられたのは、わたしにとって、大きな気づきだった。このことに出会うまで10年。続けることのなかに、驚きと学びが生まれる。

 これから気温が下がるにつれ、ますますお味噌汁のおいしい季節になる。日々の食卓に自家製味噌と安心がもどってきたのだった。

味噌づくりについてはこちら → 味噌のつくりかた