餅つきと餅投げ

お正月以降、思いがけずおもちの日々がつづいています。

 友人たちとの年始のもちつき、1月中旬の地域の餅つき、それから神社のもち投げ、知人に長期貸与していただいた餅つき機で、毎週餅つき(というか機械ですが!)をしています。

 年始早々、山の上のもちつき新年会に呼ばれ、「わあ、餅つき!」と意気揚々と参加しました。煙を出しながら燃える竹、もうもうと立ち上る強い湯気、代わるがわるについて、丸めて、を繰り返しながら、つきたてのやわらかいお餅を食べます。そのときだけ、のあたたかさとやわらかさ。つきたてのお餅はとってもいいにおい。

3人でつくと早い! 写真: 浅田剛司

 そのまた数日後には、友人に誘われて近所の集落の餅つきへ。廃校になった小学校の校庭で、大量に蒸しあがったもち米を、ふたつの臼で次々につきます。火の管理とつき手は男のひと(わたしもやらせてもらいました)、丸めるのはだいたいが女のひとです。

 それにしても、地域の婦人会の方々の手の早いことといったら!はい、これはのしもち、これはあんこいれる、これはまるもち、あ、つぎはよもぎね、塩忘れないように。と、ちぎるひと、まるめるひと、容器に入れる人、と抜群のチームワークです。

 「餅つきは人手がいるから今はなかなか家ではできない」とおっしゃるのもやってみるとよくわかります。お米の準備に水切り、 火の世話、 蒸す人、臼をその都度洗って温めておく人、それに加えてつき手がいります。つきあがってからも、準備万端のたくさんの手で素早く成型しないと、冬の屋外ではおもちがどんどん冷えて硬くなり、成型がしにくくなってしまいます。

 一緒に行った娘は、のしもちづくりに夢中、顔に白い粉をつけながら、最後にはなかなかの手際になっていました。一方わたしは地域のご婦人方の手元から目がはなせません。くっつかないようにもろぶた(餅を入れるのにつかう木の箱)に振る最初の餅粉の分量、もちの塊を最初に数等分する手つき、ちぎりかた、丸めかたなど繰り返し展開される熟練の技はさながら舞台上のパフォーマンスです。

このいれものが「もろぶた」です。

  スピード勝負なのに悠々とされているのにも余裕を感じます。たたみかけるように繰り返されるもち成型を見せていただいたその日から、お餅は自分でできそう、という気持ちが湧いてきました。しっかり見る、とにかく自分でやってみる、繰り返しやる、これが学びの基本。チャンスはそこかしこに出現するのです。

  年末のこと、お世話になっている方から、思いがけず餅つき機をお借りできることになりました。最初は「餅つきを機械でするなんて….やっぱり昔ながらの餅つきでないと」と難色を示したわたしですが、使ってみると、これはまさに画期的!つきあがりも完璧です。なにしろもち米さえ一晩ひたしておけば1時間ほどで一升分(1.5キロ)のお餅ができあがるのです。

  記念すべき第4回目の「我が家で餅つき」では、前述の婦人会のみなさまから伝授された(と勝手に思っている)大福づくりに挑戦。あんこは炊いてまるめておきます。つきあがったもろぶたに片栗粉をふって、おもちをうつして、ねじりながらちぎって、あんこを入れてとじて丸めて。冷めないうちに、手を止めないで。

はじめての大福づくり。あんこすくなめ、もち多め、が好みです。

 またたく間にできあがった大福はなんと40個(そしてまわりは粉だらけ)。その日のお昼ご飯は、ひとり3つの大福でした。お餅は翌日にはかたくなってしまうので、やわらかいうちにご近所にお配りしましたが、硬くなってしまった大福は、焼いてもまたおいしいのです。

 餅つきはたいそう血がさわぐのですが、実はもっと好きなのが餅投げです。餅投げは、神社や地域のお祭りなど、お祝い事のときの最後にお餅を投げる習慣で、この辺りではよく行われます。

 最初に参加した時の驚きは今でもわすれません。かなりご高齢のご婦人が多数参加の意思を表明されていて(お餅を入れるためのスーパーの袋を手にくしゃっとお持ちなので一目瞭然)、「もしぶつかったりしたら危ないのではないか、骨折でもしたら大変…」と気をもむ私をよそに、ゆるぎない集中力でもちを拾いまくっておられるのです!その俊敏さと迷いのない動きは、幼いころから積み重ねたもち拾いの経験によるものなのかもしれません。

 遠慮がまったくないのも衝撃的で、わたしがやっとつかんだお餅を横からさらわれることも。「え!」と思いがけない展開に固まってしまう慣れない移住者(わたしです)をよそに、そのご婦人はわるびれることも、恥ずかしそうにするでもなく、次々と投げられる餅へと手をのばし、「横取りしたこと」はぜんぜん気にされていないご様子。もしかして、とまわりを見回すと、どうやらそのスタイルがスタンダードらしく、この大胆な餅拾い合戦 (というか餅の奪い合い)のありように心から感動したのでした。つかの間の野性の放出、これこそが祭りの本質かもしれません。

  二月三日は節分の餅投げが神社で行われました。夕方からの開催なのに、朝からなんだかそわそわしてしまいます。5歳の息子は保育園から早退させ(重要な戦力)、お菓子よりもお餅を多くひろうようにしっかりと言い聞かせ(こども用の餅投げでは駄菓子もまかれるのです)、見守りは夫に託しました。わたしは自分の現場に集中しなければならないのです!


「けがにだけには気を付けてください!」と念入りにアナウンスされたのち、太鼓の響きと同時にまかれるお餅。たくさんのひとが無我夢中になってひろう、そのうずまくエネルギーが場を支配するのは、ほんの数分間。理性を捨てきれない男のひとより女のひと(特にご高齢の)の動きの方がおしなべて迷いなく本能的、見習うべき姿です。

「ご自身で高齢者だと思われる方は、橋の向こう側に集まってください!」とのアナウンスも。


 わたしが最初の年に拾ったお餅は、ほんの数個。今年の収穫は20個ほどで、熟練の方々には遠く及びませんが、それでもたいそう満足したのでした。そしてとなり町のお餅やさんが朝つくったお餅はまだやわらかく、そのままひとつ食べながら、次回の餅投げを夢見たのでした。