お屠蘇をつくる

 お屠蘇の記憶は母方の実家のお正月。陶器でできたやや貴族風のお急須みたいなものに満たされた琥珀色の液体。中にはティーバックらしきものが入っている。

 飲んでみると、ちっともおいしくない。お屠蘇はみりんに生薬を漬けたもので、こどもの口にはあわなかったのだろう。いまになって思うのは、おいしいみりんでないとおいしいお屠蘇にはならないということ。

 それほど思い入れのなかったお屠蘇だが、じつは夫の好物で、毎年お正月にお屠蘇をたくさん飲む。「これっておしるし程度に飲むものじゃなかったの?」とおもいながらも、うれしそうに飲むその様子につられ、わたしも毎年たのしむようになり、いつしかお正月にお屠蘇は欠かせない存在となった。

 1年間の長寿健康を祈願する、という意味をもつお屠蘇。 「邪気を屠(ほふ)り、心身を蘇(よみがえ)らせる」から名付けられたそう。

 お屠蘇にいれる生薬のことを「屠蘇散」といって、その処方は書物によって変わるようだが、現代では 白朮 (ビャクジュツ/オケラの根 )・ 山椒の実・ 防風 ・桔梗の根・肉桂の樹皮・陳皮(みかんの皮)が一般的だとか。

 ビャクジュツ?とかボウフウ?など漢方薬局では売っているかもしれないけれど見たことも聞いたこともない。桔梗の根、は漢方の桔梗湯と同じだろうか、そういえばすこし甘い味がしたような。肉桂(シナモン)と陳皮(みかんの皮)はなじみがある。

 ここ数年、屠蘇散を自作したいと思い続けてきたこともあって、身近なものでつくってみようと思い立つ。手に入りづらい生薬のかわりに、消化によさそうなスパイスをつかってみてはどうだろうか?

  ベースにしたのは黒文字の枝を削ったもの。くわえて無農薬の陳皮、柚子皮、山形の菊。インドから持ち帰ってきたシナモン(肉桂)、カルダモン、フェンネルシード(茴香)、クローブ(丁子)は、乳鉢でごりごりとすりつぶす。

 陳皮は手元になく、山の上の方にお願いしてゆずっていただいた。ゆずは谷のそばで採らせていただいたものの皮を天日で干した。菊は15年来のおつきあいのある山形の生産者さんに「もってのほか」という食用菊をお米の注文ついでに送っていただいた。

 勘をたよりに分量を決めて、あわせてみりんに一晩つけてみたところ、爽やかで香りよく仕上がった。

 半透明のパラフィン紙をで包み、お屠蘇をたのしみそうな友人知人に手渡したり、実験的に販売したりもした。

作り方はかんたんで、みりん100ccほどに包みをあけて一晩ひたして翌朝漉すだけ。みりんだけだと味が強いので、飲むときに同量の日本酒で割るのもいい。「濃かったのでお湯で割った」という方もおられて、なるほど好みにあわせて色々工夫の余地がある。

 年末は、大掃除もしないし年賀状も書かないのにおおいにあわただし、くそうこうしているうちに屠蘇散をみりんにひたすのを忘れ、試作用につくったお屠蘇もいつのまにか飲み切ってしまったことに気づき、「なんのためのお屠蘇だか」と苦笑しつつ、あたらしい年のはじまりの日に、またお屠蘇をつくるのであった。