即興料理の会

  愛媛は西条市の、月草子舎(つきくさごや)で即興料理の会をひらいていただいた。

  主宰の友人に、「小屋がそろそろできる」と聞いてはいたが、行ってみてびっくり!小屋というより、ほとんど家。セルフビルドと聞いて、驚きを超えて感嘆する。高い天井、木に囲まれた室内、まっさらな床。そして四方にひらいた窓。玄関の建具まで自作だそう。

  友人は野菜や米の生産者でもある。端境期でもあるいまだからこそ、「あるもので、その場かぎりの料理をつくってみよう」という流れでこの日が実現したのだった。

  端境期とはいえ、大きなテーブルの上には、秋の実り、めぐみがぎっしりと並んでいて、眺めているだけで胸がいっぱいになる。「いま畑にはなにもない」と言っていたのがうそのよう。柿、栗、かぼちゃ。抜き菜に生姜、参加した方が持ってきてくださった 自家栽培の豆やたくさんのひらたけまで 。

  まず、小屋でちいさな瞑想をしてから、台所へと向かう。早めに帰る方もおられるから、料理の制限時間は1時間半。この時間内で、どこまで作れるか。まっさらな献立に、胸が高鳴る。

  こんなとき、何をつくるかはおのずと決まってくる。ただひたすらに素材の向かう流れに手を添えてゆけばいい。素材を信頼すること。耳と心を澄ませること。まずは野菜の下準備。抜き菜は洗って茹でて。里芋は蒸して。きのこは割いて。16本の手が鮮やかに動きはじめた。

  めずらしいマコモダケはひらたけとスープに。柿はきのことマリネに。四方竹はすこしえぐみがあったので、さてどうしよう、とすこし迷ってから、チベットのスパイシーな胡麻ベースのソースで和えた。

  かねてから、料理はあるものでつくる、と思ってきた。なにかを決めたり選んだりするよりも、受け取ったものを、その時の流れで作る方が性に合っている。

  きれいなひとたちが、陽の差し込む台所で立ち回る様子も、輝きをはなっていて、夢のなかにいるようだった。

  ほとんどの野菜の向かう先が決まり、最後の仕上げをして時計を見たら、ちょうど1時間半。計画してはたぶん、達成できなかっただろう、とおもいながらほっとする。

  テーブルがわりの大きな板を小屋に運び、その上に料理を並べて、あついスープを器にそそぐ。一緒に作って、一緒に食べる。ただそれだけの、ごくシンプルな時間。

  その後のおしゃべりもたのしく、ほがらかなひと、はにかむひと、しずかなひと。それぞれがひかっている様子をぼんやりと眺めながら、わたしは壁に背をもたれさせて、うとうととしはじめ、いつの間にか意識を失っていたのだった。

  数日経ったいまでも、あれは夢だったのではないかと思うほど。小屋の清々しい空気と、その場をともにした7人の妖精たちのことを、あれから毎日思い出している。

―献立―
・新米の釜炊き
・ひらたけとマコモタケのスープ
・黒豆の香味野菜マリネ
・四方竹のチベットディップ
・抜き菜の炒め煮
・朝どれの枝豆
・蒸した里芋、柚子アチャールと練りごまのディップ
・りゅうきゅうとみょうがの酢の物
・マコモタケの南インド炒め