価値について考える

  価値ってなんだろう?と考えると、ちょっと一言でいえないなあ、と思いませんか?ちょっとソファでくつろいでいる伴侶に聞いてみました。

「価値?それは漠然としていて答えられないよ」
「意味のあることが言えなさそうな気がする」

 なるほど。そうですよね。「価値」そのものがなにかなんて、簡単に言えないですよね。でも、なんとなく、生き方の軸になるような気がしませんか?

 価値感(=価値の感覚)はひとそれぞれ。
だから、「絶対の価値」というものはもしかしたらないのかもしれない。

 そして、価値って、じつは無限に生み出せるんです。ちなみに、「お金」のことではないです。お金の形をとることもあるかもしれないけど、それは「たまたま」そうなだけ。

 壮大なテーマになりそうで、ちょっとしり込みしつつですが、「価値」について書いてみよう、そう思いました。

 なぜなら、わたしは「価値」ということについてずっと考え続けているからです。選択や判断の基準は常に、「価値があるかどうか」です。
「価値」ということについて話し始めたら、どこまでも話し続けられる自信があります。

 とりあえず、いま思いついた「価値あるもの」の基準は3つ。

・だれでもできる
・しあわせが生まれる
・社会がよくなる

 たとえば「挨拶」。これ、だれでもできますね。さらに「笑顔で」がついたらさらに「価値」があがります。

 「挨拶」って1秒半しかかかりませんが、慣れてないと、最初はけっこうエネルギーつかいます。タイミングとか、「返事してくれなかったら気まずいなー」という不安とか。慣れないうちは、「こんなややこしいことやめてしまえ!」と思うかもしれません。

 でも、挨拶ってすごい無限のひろがりがあるんです。「挨拶するわたし」と「挨拶しないわたし」の隔たりは、アマゾン川の幅くらいあります。たったの1秒半のことなのに。つまり、別人くらいに違います。

 同じ挨拶でも「惰性の挨拶」と「気持ちの乗った挨拶」これもメコン川の幅くらいちがいますね。でもしないよりした方がいいです。なにごとも常に変化しますから。平家物語でも言ってますよね「諸行無常」って。

 挨拶って、じつは「祝福」なんです。「あなたにとって、よい日でありますように」という祈りみたいなものです。宗教とは関係のない、もっと根源的な祈りのかたち。力のはいっていない、ふわっとした1秒半の「祝福」。

 そういった気持ちをのせて、言うだけ。お金はかかりません。慣れてしまえば、エネルギー(気力)もほとんどつかいません。たったの1秒半。すごくお得です。祝福されたひとがひとり、ふたりと増えたら、当然ですが、社会はその分良くなっていきます。

 そして、驚くべきことに、祝福した人は、祝福された以上にしあわせです。なぜなら、価値を生み出しているから。もっと言ったら、「創造行為」です。クリエイティブ。

 挨拶って、瞬間に生まれて、瞬間に消える、すごい洗練されたクリエイティブアートなんですよ!もう一度言いますが、お金はいりません、体力もつかいません、所要時間は1秒半。

 「1秒半で人を祝福する」こういった価値を「誰しもが」「すぐに」生み出せる。これが、価値の無限性です。

 今日は序章なのでこのくらいで。
次回は「お金をつかうと価値がさがる」ことについて考えます。

価値の話、最高におもしろいいんですよ!